大塩 澗洞院 阿弥陀三尊種子板碑

 大塩澗洞院(おおしおかんどういん)(宮城県東松島市大塩字寺沢42)

   阿弥陀三尊を主尊とし、天蓋(てんがい)を伴う初期板碑で、鎌倉時代中期 建治元年(1275)の紀年銘がある。

大塩澗洞院 阿弥陀三尊種子板碑 (鎌倉時代中期 建治元年 1275年、粘板岩、地上高 115Cm 幅 42Cm)

本堂手前、覆屋内に立つ三基の板碑群、その中央。板碑は、深谷保(旧 河南町、東松山市)の地頭 長江氏と関連付けされている。

板碑は、通常の阿弥陀三尊種子を主尊とする板碑で、瓔珞(ようらく)を垂らした天蓋と各々の種子に刻む蓮座・月輪で荘厳する。板碑下方は罫線を

引き、中央に「建治元年(1275)」の紀年銘、左右を二段に分け、上段の枠内に出典未詳 「誓願不思議」の偈(げ)、下段の枠内に各二行願文を刻む。

石塔婆 頭部

頭部はドーム形。三尊種子を天蓋で荘厳する。

身部上方、阿弥陀三尊種子 紀年銘:「建治元年、乙亥、八月二十六日」

三尊種子は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下に観音菩薩の種子「サ」、左下に勢至菩薩の種子「サク」を各々蓮華座上月輪内に刻む。

宮城県内の澱(よどみ)不動尊 阿弥陀三尊種子自然石塔婆(仙台市)永厳寺 釈迦三尊種子板碑(石巻市) 等の初期板碑に配置が良く似ている。

感覚的には、武蔵型板碑というより初期の下総板碑に近いかもしれない。

身部、下方

中央に「建治元年(1275)、乙亥、八月二十六日」、左右上段に「誓願不思議、西方無量壽」、

「極重罪衆生、往生安楽国」、左右下段に「右志者為過、去慈父幽霊」、「出離生死往、生極楽也」の願文を刻む。

[ 亡き父の極楽往生を願って鎌倉時代中期 建治元年(1275)八月二十六日に造立された。]

身部下方 上段、出典未詳の偈(げ)

偈(げ):「誓願不思議(せいがんふしぎ)、西方無量壽さいほうむりょうじゅ)」、「極重罪衆生(ごくじゅうざいしゅじょう)、往生安楽国(おうじょうあんらくこく)

[ 誓願は不思議なり、西方の無量寿仏(阿弥陀如来)は、極重罪の衆生さえ、極楽浄土に往生せしむ。]

身部下方 下段、願文

下段、左右各二行「右志者為過、去慈父幽霊」、「出離生死往、生極楽也」の願文を刻む。

板碑収容 覆屋

三基の板碑が安置されている。

  大塩 澗洞院(かんどういん)文永十年代銘板碑                  石仏と石塔-目次!

澗洞院(かんどういん) (曹洞宗)

 板碑(いたび)

*JR仙石線 「矢本駅」下車、西北西方向へ 約5.2Km。JR仙石線は、仙台方面からの場合、松島海岸駅から矢本駅迄は、代行バス。

(撮影:平成26年 4月10日)