長泉院墓地(ちょうせんいんぼち)釈迦種子板碑

 小見川図書館(おみがわとしょかん)(千葉県香取市羽根川38)

  香取市上小堀の長泉院墓地から出土したもので、現存する下総板碑で最も古い鎌倉時代中期 正元元年(1259)八月二十四日の紀年銘がある。

長泉院墓地釈迦一尊種子板碑 (県指定文化財、鎌倉時代中期 正元元年 1259年、黒雲母片岩、高さ 242Cm 下幅 58Cm)
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身部は、天蓋と蓮座で荘厳した釈迦如来の種子「バク」を薬研彫する。下方に、偈(げ)、願文、紀年銘、造立者名を刻む。

板碑 頭部

頭部は低い山形で古風を示す。下に二条線、その下に天蓋を刻み、身部の輪郭はない。

天蓋(てんがい)

逆蓮形の天蓋で、瓔珞(ようらく)が五本垂れ、頂部に宝珠が刻まれている。

天蓋と蓮座で荘厳された釈迦如来の種子「バク」 身部下方の刻銘

刻銘は、上段に二種類の偈(げ)、下段に願文・紀年銘・造立者名を刻んでいる。

身部下方、上段の刻銘

向って右から「弥陀観音大勢至、安楽界中諸聖衆、為我往生増上縁、一切自来常護念」(出典未詳の偈)、

「聖霊決定生極楽、上品蓮台成正覚、菩提行願不退転、引導三有及法界」」(般若理趣教に出る偈)、の二種類の偈(げ)を刻む。

偈(げ):「弥陀観音大勢至(みだかんのんだいせいし)、安楽界中諸聖衆(あんらくかいちゅうしょしょうじゅ)

為我往生増上縁(いがおうじょうぞうじょうえん)、一切自来常護念(いっさいじらいじょうごねん)

[ 阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩と安楽界(極楽)の諸聖衆(二十五菩薩)は、わが往生の増上縁となり、一切みずから来たりて、常に護念したもう。]

偈(げ):「聖霊決定生極楽(しょうりょうけつじょうしょうごくらく)、上品蓮台成正覚(じょうぽんれんだいじょうしょうがく)、

菩提行願不退転(ぼだいぎょうがんふたいてん)、引導三途及法界(いんどうさんずぎゅうほうかい)

[ 聖霊は必ず極楽に生まれ、上品の蓮台に正覚を成ず。菩提の行願は退転することなく、三界及び法界に導かれん。]

身部下方、下段の刻銘

刻銘 (向って右から):「奉造立高八尺口、率都婆一本、右志者為過去、主君道阿弥陀仏、

御聖霊成仏得道也、正元ゝ年(1259)、己未、八月廿二二(四)日、施主定阿弥陀仏、敬白」

定阿弥陀仏が、主君 道阿弥陀仏の十年忌に、死者の霊魂が成道せんことを願い高さ八尺(約240Cm)の石塔婆一本を正元元年(1259)八月二十四日に造立した。

道阿弥陀仏は、小見川木内の領主 木内胤朝 (法名 道阿了称)とみられている。尚、木内胤朝は建長元年(1249)五月十九日に六十三歳で亡くなっている。

刻銘:正元ゝ年(1259)、己未、八月 板碑は三分断され、根部は突出する。

現存最古の下総板碑で、源流を武蔵型板碑とする証例の一つとされている。

 来迎寺(らいこうじ)阿弥陀三尊図像板碑.                    石仏と石塔-目次!

小見川 図書館

 板碑(いたび)

*JR成田線「小見川駅」下車。撮影日の平成25年3月13日は、図書館の引越し作業中であった。板碑は、1階から2階への階段踊場に展示されていた。

(撮影:平成25年3月13日)