大塩澗洞院(おおしおかんどういん)(宮城県東松島市大塩字寺沢42)
当地の有力者 長江氏の名が刻まれた初期板碑で、鎌倉時代中期 文永十年代(1273~75))の紀年銘がある。
大塩澗洞院 文永十年代銘板碑(鎌倉時代中期 文永十年代 1273~75年、粘板岩、地上高 70Cm 幅 34.5Cm)
本堂手前、覆屋内に立つ三基の板碑群、その向って右側。板碑は上部を欠失し、下方の刻銘も一部が剥離・摩耗している。
刻銘:「文永十・・・・・・」 | 刻銘:「右志者為過去聖霊・・・」 |
残る刻銘から文永十年代(1273~75)に追善供養として造立されたことが分かる。現地説明標識によれば、銘文に当地の有力者 長江氏の名が刻まれているという。
大塩澗洞院(おおしおかんどういん)(宮城県東松島市大塩字寺沢42)
阿弥陀三尊を主尊とする板碑で、鎌倉時代中期 弘安五年(1282)の紀年銘がある。
大塩澗洞院 阿弥陀三尊種子板碑 (鎌倉時代中期 弘安五年 1282年、粘板岩、地上高 84Cm 幅 29Cm)
本堂手前、覆屋内に立つ三基の板碑群、その向って左側。身部は上方に阿弥陀三尊種子、下方に願文と紀年銘を刻む。 |
石塔婆 頭部
頭部はドーム形と思われる。三尊種子は、蓮座と月輪で荘厳する。
身部上方、阿弥陀三尊種子 | 身部下方、刻銘 |
三尊種子は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下に観音菩薩の種子「サ」、左下に勢至菩薩の種子「サク」を各々蓮華座上月輪内に刻む。
刻銘は、中央に「弘安五年(1282)、大歳、壬午、十二月廿日」、左右に「右造立處者為・・・」、「悲母聖霊往生・・」と刻む。
身部、下方
紀年銘と願文を刻む。
板碑収容 覆屋
三基の板碑が安置されている。
澗洞院(かんどういん) (曹洞宗)
*JR仙石線 「矢本駅」下車、西北西方向へ 約5.2Km。JR仙石線は、仙台方面からの場合、松島海岸駅から矢本駅迄は、代行バス。
(撮影:平成26年 4月10日)