正代(しょうだい)阿弥陀一尊 図像板碑

 正代(しょうだい)阿弥陀一尊図像板碑 (埼玉県東松山市大字正代 851)

   青蓮寺から東南東方向へ約300m、民家の横に立つ。来迎阿弥陀立像を刻む図像板碑で、初期板碑の特長を備えている。

正代 阿弥陀一尊図像板碑(市指定文化財、鎌倉時代中期、緑泥片岩、高さ 105Cm 幅 46Cm 厚さ 18.5Cm)

頭部山形、下に二条線、身部は蓮華座上に来迎阿弥陀如来立像、その下に紀年銘と偈(げ)を刻む。下方の刻銘は、摩耗が激しい。

板碑 上部

頭部は低い山形、その下に二条線、身部は輪郭を巻かず古い形式を備えている。

身部上方、二重円光を彫りくぼめ、蓮華座上に来迎相の阿弥陀立像(像高 24.5Cm)を半肉彫りする。お顔は、少し右方に傾けて表現している。

板碑 下部

根部は、やや突出する。中央の刻銘は上半分が磨滅し「七月 日」の文字が残る。左右は、各二行で、摩訶止観補行に出る偈(げ)を刻む。

偈(げ):「諸教所讃(しょぎょうしょさん)、多在弥陀(たざいみだ)、故以西方(こいさいほう)、而為一准(にいいちじゅん)

[ 諸教(経)のたたえる所は、多く弥陀にあり、故に西方をもって、一准(一つの目安)となす ]

摩訶止観補行に出る偈(げ)を刻む板碑は、日本最古の在銘板碑須賀広阿弥陀三尊図像板碑金乗寺仁治三年(1242)銘 図像板碑があり、いずれも初期板碑。

板碑の構成は、近接する香林寺の 仁治二年(1241)銘阿弥陀 図像板碑や、金乗寺の仁治三年(1242)銘 阿弥陀図像板碑に良く似ている。

千々和實氏はこの板碑の刻銘を、何回も念拓した結果「寛(1229)、大才、己五月口日」と読むのが最も近いようである。(板碑源流考、吉川弘文館)と書かれている。

正代(しょうだい)の板碑群

向って左側三基は、初期板碑の特徴を備え、左から三基目の阿弥陀種子板碑は仁治二年(1241)の在銘。

 正代(しょうだい)阿弥陀三尊 図像板碑                          石仏と石塔-目次!

覆屋の中に安置されている六基の板碑

板碑は、御霊神社南側の道路を東へ約100m行った民家の隣に立っている。

 板碑(いたび)

*東武東上線 「高坂駅」下車 、東南方向へ 約1.8Km。または、東武東上線 東松山駅東口から東松山市内循環バス 野本高坂コース 高坂駅行きに乗車、「正代西バス停」下車、東方向へ 約700m。

(撮影:平成24年11月10・11日)