青蓮寺(しょうれんじ)(埼玉県東松山市大字正代851)
小代氏四代目 重俊(しげとし)の仁徳を慕って、また先祖供養の為、一門が合力して建立した板碑で、二度目の元寇の年 弘安四年(1281)に造立された。
青蓮寺阿弥陀 種子板碑(県指定文化財、鎌倉時代中期 弘安四年 1281年、緑泥片岩、高さ 223Cm 下幅 61Cm)
身部は、上方に阿弥陀の種子「キリーク」を蓮華座上月輪内に薬研彫し、下方は六行にわたる銘文を刻む。 |
板碑 上部
頭部山形、下に二段の切込、身部は一重線の輪郭を巻く。
身部上方、蓮華座上月輪内に刻まれた阿弥陀の種子「キリーク」 | 身部下方、六行にわたる長文の刻銘がある。 |
刻銘:「右奉為 前右金吾禅門一列諸衆合力建立也」、「夫聖霊者撫民之徳惟深仁恵之情敦口因茲結」、
「面々慕従之好友衆月々忌景之諸衆等口令住」、「口廬之廟石永宛滅罪生善之霊口以祈光口之」、
「覚位以及累代之幽魂以口等済幽顕同利之矣」、「干時 弘安四年(1281)辛巳七月一日 諸衆等敬白」
現地説明板によれば、小代氏四代目重俊(右金吾禅門)の仁徳を慕って、また祖先の供養の為、小代氏一族が力を合わせてこの板碑を造立したという。
また、小代氏は、武蔵七党の児玉党 入西資行の次男遠弘が小代郷に住んで小代を名乗ったことに始まるという。
刻銘、上部
刻銘:「右奉為 前右金吾禅門一列諸衆合力建立也」、「夫聖霊者撫民之徳惟深仁恵之情敦口因茲結」、
「面々慕従之好友衆月々忌景之諸衆等口令住」、「口廬之廟石永宛滅罪生善之霊口以祈光口之」、
「覚位以及累代之幽魂以口等済幽顕同利之矣」、「干時 弘安四年(1281)辛巳七月一日 諸衆等敬白」
刻銘:「弘安四年(1281)」 | 弘安四年(1281)は二度目の元寇の年で、一族の武運長久も願われた |
板碑収容 覆屋
板碑は、本堂に向って左側手前、この覆屋に安置されている。
青蓮寺 (しょうれんじ)本堂 (天台宗)
*東武東上線 「高坂駅」下車 、東南方向へ 約1.5Km。または、東武東上線 東松山駅東口から東松山市内循環バス 野本高坂コース 高坂駅行きに乗車、「正代西バス停」下車 東方向へ 約400m。
(撮影:平成24年11月10日)