中別所 元亨三年銘 金剛界大日種子石塔婆(弘前市史 No:弘前103)

 中別所(なかべっしょ)石塔婆群・石仏(いしぼとけ) [青森県弘前市中別所字葛野(くずの)]

   高椙郷主 三回忌供養として造立された石塔婆で、鎌倉時代後期 元亨三年(1323)の紀年銘がある。

中別所 金剛界大日種子石塔婆 (鎌倉時代後期 元亨三年 1323年、安山岩、高さ 108Cm 幅 95Cm 厚さ 33Cm)

三角形の石面、上方に格調高く金剛界大日如来の種子「バン」を薬研彫し、下方に円覚経に出る偈(げ)と願文・紀年銘を刻む。

本石塔婆群には、紀年銘のある石塔婆が十三基あり、鎌倉時代後期の九基を中心としている。本石塔婆は、鎌倉時代で最後の石塔婆で、その次

は三十五年後の南北朝時代前期 延文三年(1358)銘の石塔婆になる。ちなみに南北朝時代は二基、室町時代前期に二基の有年銘石塔婆がある。

石塔婆 下方

八行の刻銘があり、最初の二行は円覚経に出る偈(げ)、次の六行は願文と紀年銘を刻んでいる。

刻銘全文:始知衆生本来成仏、生死涅槃猶如作夢」、「右造立石塔之旨者當故、

高椙郷主第三之忌修此、善根願救楽趣之宗苦、口菩提之彼岸而已、元亨三(1323)癸亥、二月廿五日、法主謹立」

高椙郷主の三年忌 供養塔として、元亨三年(1323)二月二十五日に造立された。

元応三年(1321)二月二十九日に高椙郷主 源泰氏 五七忌(三十五日)の供養塔が造立されており、その一連のものかもしれない。

始知衆生   本来成仏   生死涅槃   猶如作夢

円覚経に出る偈(げ)

偈(げ):始知衆生(しちしゅじょう)本来成仏(ほんらいじょうぶつ)、生死涅槃(しょうじねはん)猶如作夢(ゆにょさむ)

[ 初めて知る。衆生は本来成仏することを。生死・涅槃は、なお昨日の夢の如し。]

刻銘:元亨三(1323)癸亥、二月廿五日 願文の前二行

願文の前二行:「右造立石塔之旨者當故、高椙郷主第三之忌修此」

願文の前二行に、「高椙(たかすぎ)郷主 三回忌の供養として石塔を立てた」との記述がある。

中別所 金剛界大日種子石塔婆(弘前市史 No:弘前74)

 中別所(なかべっしょ)石塔婆群・石仏(いしぼとけ) [青森県弘前市中別所字葛野(くずの)]

  金剛界大日種子「バン」を主尊とする石塔婆で、下方に法華経 化城喩品に出る偈(げ)を刻んでいる。

中別所 金剛界大日種子石塔婆 (推定:鎌倉時代後期、安山岩、高さ 152.5Cm 幅 78Cm 厚さ 22Cm)

石面中央に格調高く金剛界大日如来の種子「バン」を薬研彫し、下方に法華経 化城喩品に出る偈(げ)を刻む。

本石塔婆群を代表する鎌倉時代後期の作品と近似し、本石塔婆も同時代ごろと思われる。

法華経化城喩品に出る偈(げ)

偈(げ):「願以此功徳(がんにしくどく) 普及於一切(ふぎゅうおいっさい) 我等与衆生(がとうよしゅじょう) 皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう

[ 願わくばこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん ]

※ 中別所(なかべっしょ)石塔婆群 掲載分一覧

 中別所 延文三年銘 金剛界大日種子石塔婆                   石仏と石塔-目次!

中別所(なかべっしょ)石塔婆群 (石仏)

中央の手前が、紀年銘のない金剛界大日種子石塔婆(弘前市史 No:弘前74)。雑草の整理をしてからの撮影であった。

 板碑(いたび)

*JR 弘前駅前から弘南バス 弘前~船沢・三ツ森線、または弘前~弥生・新岡・葛原線に乗車、「折笠バス停」下車、北東方向へ約1.7Km。

(撮影:平成25年10月13日)