真福寺(しんぷくじ)阿弥陀三尊種子板碑

 真福寺(しんぷくじ)(埼玉県さいたま市南区別所2-5-14)

   七仏通戒偈を刻む板碑で、鎌倉時代後期 正和三年(1314)の紀年銘がある。阿弥陀三尊の主尊 阿弥陀如来の種子が荘厳体で珍しい。

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真福寺 阿弥陀三尊種子板碑(市指定文化財、鎌倉時代後期 正和三年 1314年、緑泥片岩、高さ 168Cm 下幅 44.5Cm)

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真福寺門前の墓地、覆屋内に立つ。身部は、上方に阿弥陀三尊の種子を蓮華座上に、下方に光明真言・願文・紀年銘・七仏通戒偈を刻む。

板碑 頭部

頭部 山形、下に二段の切込、身部は一重線の輪郭を巻く。

身部上方、蓮華座上に阿弥陀三尊の種子を刻む 身部、下方の刻銘

阿弥陀三尊種子は、上方に阿弥陀の種子「キリーク」を荘厳体で、向って右下 に観音の種子「サ」、左に勢至の種子「サク」を刻み阿弥陀三尊とする。

三尊とも月輪なしに、蓮華座上に刻まれている。主尊 阿弥陀の種子「キリーク」が、珍しい字体(荘厳体)で薬研彫されている。

身部下方の刻銘は、中央に「右志者為往生極楽乃至、法界平等、利益也」、「正和三年(1314)、甲寅閨三月十六日」、

上方 左右に各二行 「光明真言」を梵字で、下方左右に各二行「法華玄義巻二の上」や「増壱阿含経」に出る 「七仏通戒偈」を刻む。

光明真言 (梵字)

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ」、「シャナ、マ、カーボ、ダラ」、「マ、ニ、ハンドマ、ジンバラ」、「ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」

七仏通戒偈 (しちぶつつうかいげ)

偈(げ):「諸悪莫作(しょあくまくさ)、諸善奉行(しょぜんぶぎょう)、自浄其意(じじょうごい)、是諸仏教(ぜしょぶっきょう)

[ 諸々の悪を作(な)すこと莫(なか)れ。諸々の善を行い、自ら其の意(こころ)を浄(きよ)らかにせよ。是れ諸仏の教えなり。]

七仏通戒偈は、釈迦以前にこの世に現れたとされる六仏と釈迦を合わせて七仏と総称し、この七仏が等しく伝えてきたという戒めの言葉。

過去七仏とは、毘婆尸仏(びばしぶつ)、尸棄仏〈しきぶつ)、毘舎浮仏(びしゃふぶつ)、拘留孫仏(くるそんぶつ)、拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)、

迦葉仏(かしょうぶつ)の六仏と釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の七仏で、釈迦入滅後、過去世にも法を見出した仏がいたと解され、それらを過去仏と称

した。その結果、法も仏も絶えることなく続いていることが保障された。過去七仏の作品としては、エローラ仏教窟第十二窟、アジャンター石窟寺院第17

窟、サーンチー東門の横梁などがある。口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口

エローラ 仏教石窟寺院 (インド、マハーラーシュトラ州)

第12窟 ティーン・タール ( 7~8世紀)の過去七仏

アジャンター石窟寺院(インド、マハーラーシュトラ州)

第17窟 後期ヴィハーラ窟(僧院窟)(5世紀後半)の過去七仏

大きな壁画を描く場合、同一工房に属する画家が画面を区切って分担しているため、明らかに

描き方の違う植物文様の画が中央で合流している。インドのおおらかさが垣間見える。・・・・・

サーンチー(インド、マディヤ・プラデーシュ州)

東門、横梁 上段の浮彫(裏面)(1世紀) 過去七仏の内五仏

過去七仏は、ブッダと彼以前に現れたとされる六人の仏たちを表している。仏像は、1世紀末から2世紀にかけて造られ始めた。

それ以前は、法輪や菩提樹・仏足石などにより表現されていた。本作品は、菩提樹により、過去仏を表している。

刻銘:「右志者為往生極楽乃至、法界平等、利益也」

刻銘:「正和三年(1314)、甲寅、閨三月十六日」

板碑収容、覆屋

板碑は真福寺の南側墓地、六地蔵の向って左手内に収容されている。

 醫王寺(いおうじ)阿弥陀種子断碑                            石仏と石塔-目次!

真福寺(しんぷくじ)(真言宗豊山派)

 板碑(いたび)

*JR埼京線 「武蔵浦和駅」下車、北東方向へ徒歩 約9分。

(撮影:平成24年11月13日)