長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
主尊の阿弥陀種子「キリーク」を豪華な蓮華座で荘厳した石塔婆で、鎌倉時代後期 正中二年(1325)の紀年銘がある。
長谷寺 阿弥陀種子石塔婆(鎌倉時代後期 正中二年 1325年、粘板岩、高さ 166Cm 幅 45Cm 厚さ 20Cm) |
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参道横の石塔婆群、前から三列目に立つ。身部は、上方に阿弥陀種子「キリーク」、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。 |
蓮華座
上方が請花で、下方が反花になる豪華な蓮華座で、阿弥陀種子「キリーク」を荘厳する。
石塔婆の刻銘(全文) | 刻銘:「正中二年(1325)二月」 |
刻銘は、中央に「逆修 正中二年(1325)二月廿日、孝子、敬白」、向って右に「右意趣者為道円」、左に「追善・・・・・故也」と刻む。
道円の追善供養と自らの逆修供養の為、子等が造立したものと思われる。
長谷寺(ちょうこくじ)薬師種子石塔婆 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
上記 阿弥陀種子石塔婆と同様、豪華な蓮華座で荘厳した石塔婆で、銘文の形式も同じ。鎌倉時代後期 正中二年(1325)の紀年銘がある。
長谷寺 薬師種子石塔婆 (鎌倉時代後期 正中二年 1325年、粘板岩、高さ 150Cm 幅 50Cm 厚さ 13Cm) |
参道横の石塔婆群、前から三列目に立つ。向って左半分が剥離する。身部は、上方に薬師種子「バイ」、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。
刻銘は、中央に「逆修 正中、二年(1325)、二月日、孝子、敬白」、向って右に「右志者為持阿」、左に「追善口口利益故也」と刻む。
持阿の追善供養と自らの逆修供養の為、子等が造立したものと思われる。
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
阿閦種子「ウーン」を主尊とする石塔婆で、涅槃経に出る偈(げ)が刻まれている。南北朝時代前期 延元二年(1337)南朝年号の紀年銘がある。
長谷寺 阿閦種子石塔婆 (南北朝時代前期 延元二年 1337年、粘板岩、高さ 80Cm 幅 29Cm 厚さ 7Cm) |
-参道横の石塔婆群、前から二列目に立つ。身部は、上方に阿閦種子「ウーン」、その下に涅槃経に出る偈(げ)、下方は紀年銘を刻む。
身部 上方
阿閦(あしゅく)如来の種子「ウーン」を薬研彫する。
涅槃経に出る偈(げ)
偈(げ):「諸行無常(しょぎょうむじょう)、是生滅法(ぜしょうめっぽう)、生滅々已(しょうめつめつい)、寂滅為楽(じゃくめついらく)」
[ 諸行は無常である。これ生滅の法である。生滅を滅しおわりて、生も滅もない寂滅を楽しみとする。]
刻銘:「延元二年(1337)、丁丑、八月」
長谷寺(ちょうこくじ)本堂
梅渓寺八世により、天正年間(1573~92)に曹洞宗の寺院として再建された。
*JR石巻線 陸前稲井駅から北東方向へ 約5.0Km。当地域は、地元住民を対象にした乗合タクシーがあるだけで、バスの便はない。
(撮影:平成26年4月13日)