関(せき)の古碑群(青森県西津軽郡深浦町関字栃沢)(No:11-38、後列、右から5基目)
胎蔵界大日種子「ア」を主尊とする石塔婆で、南北朝時代後期 康応元年(1389)の紀年銘がある。
関 胎蔵界大日種子自然石塔婆(県指定史跡、南北朝時代後期 康応元年 1389年、安山岩、高さ 58.5Cm 幅 38Cm)
自然石を加工せず、正面上方 月輪内に種子「ア」、下方は四行の罫線を引き内に 願文と「康応元年(1389)」の紀年銘を刻む。 |
石塔婆 上部
月輪内に胎蔵界大日如来の種子「ア」を大きく刻む。
石塔婆 下部
四行の罫線内に刻銘があり、願文と紀年銘を刻む。
刻銘:「右石塔者口口、鈍阿禅門一周忌、奉坊(訪)也為所平等、法界 康應元(1389)、敬白」
時宗の阿号を持つ在俗出家の男性、一周忌の追善供養として康応元年(1389)に造立された。
刻銘:「康応元(1389)」 | 刻銘:「鈍阿禅門一周忌」 |
関(せき)の古碑群(青森県西津軽郡深浦町関字栃沢)(No:11-19 後列、左端)
法華経 譬喩品に出る偈(げ)を刻んだ石塔婆で、紀年銘はないが特徴から南北朝時代前期の造立と思われる。
関(せき)金剛界大日種子自然石塔婆(県指定史跡、南北朝時代前期、安山岩、高さ 45.5Cm 幅 43Cm)
自然石の正面を薄く研磨し平らにする。石塔婆上方に金剛界大日如来の種子「バン」、下方に四行 法華経 譬喩品に出る偈(げ)を刻む。 |
石塔婆 上部
金剛界大日如来の種子「バン」を月輪なしに直接刻む。
正面に研磨加工がされていること、種子を月輪なしに刻むなど、本石塔婆群初期(南北朝時代前期)の造立と思われる。
石塔婆 下部
紀年銘がなく、四行に亘り法華経 譬喩品に出る偈(げ)を刻む。
偈(げ):「今此三界(こんしさんがい)皆是我有(かいぜがう)其中衆生(ごちゅうしゅじょう)悉是吾子(しつぜごし)」
[ 今、この三界(欲界・色界・無色界)はみなこれ我が有するところ、その中の衆生はことごとく我が子なり ]
関(せき)の古碑群(自然石塔婆群)向って左端部 (県指定史跡、南北朝時代前期~室町時代前期)
写真、後列の向って左端が金剛界大日種子石塔婆(No:11-19)。
関(せき)の古碑群(自然石塔婆群)現地説明板 (前列18基、後列24基、Noがついている)
関の甕杉(かめすぎ)(県指定天然記念物) | 左側の角柱には「菅江 真澄の道」と表記されている。 |
菅江真澄は江戸時代後期の旅行家・博物学者で当地に来訪し、その著「都介路廻遠地(つがろのおち)」で「かめ杉は山ぎはの小高き処にあり、
その木のもとに貞和三年(1347)貞治六年(1367)石ぶみどもたてり」と著し、来訪時には甕杉(かめすぎ)の根元に石塔婆群があったと記している。
*JR五能線 「北金ヶ沢駅」下車、東南東方向へ 徒歩 約18分。
(撮影:平成25年10月15日)