関(せき)応永八年銘 種子自然石塔婆

 関(せき)の古碑群(青森県西津軽郡深浦町関字栃沢)(No:11-18、前列、右端)

  種子「アン」を刻む石塔婆で、青森県内では新しい室町時代初期 応永八年(1401)の紀年銘がある。石塔婆群中、室町時代の在銘碑はこの石塔婆のみ。

関(せき)種子自然石塔婆(県指定史跡、室町時代初期 応永八年 1401年、安山岩、高さ 57Cm 幅 55Cm)

自然石の正面上方 二重月輪内に種子「アン」、下方二重輪郭線内に四行の罫線を引き造立趣旨と「応永八年(1401)」の紀年銘を刻む。

青森県立郷土館調査では、津軽地方には274基余の板碑(石塔婆)が存在する。その内、県内最古の板碑は、弘前市二千刈文永四年(1267)銘で、最も新しいものは

、大鰐町三ツ目 「阿弥陀堂跡」 にある応永二十年(1413)と読めそうな石塔婆が指摘されている。いずれにしても、室町時代初期 応永年間を下限としている。口口口口口

石塔婆 上部

二重月輪内に種子「アン」を大きく刻む。

「アン」は通常、密教系の「阿弥陀如来(胎)」・「普賢菩薩(胎)」として知られ、「大日如来(胎)」種子として使われる場合もある。

尚、石塔婆群中 最古で、中世この地を支配した安東氏の別称「安倍」姓を刻む石塔婆も種子「アン」を刻んでいる。

石塔婆 下部

四行の銘文を二重の輪郭で囲んでいる。本石塔婆群、紀年銘のある石塔婆

の内、二重の輪郭で囲むのはこの一基のみで、室町初期の特長かもしれない。

刻銘:「右石塔婆者口口七、年悲母妙智幽儀、生死故乃至法界、菩提為 應永八天(1401)、敬白

室町時代初期 応永八年(1401) 母 妙智七年忌の追善供養として本石塔婆が造立された。

刻銘:「應永八天(1401) 刻銘:右石塔婆者口口七、年悲母妙智幽儀

室町時代初期 応永八年(1401)の紀年銘は、青森県内の完形石塔婆で最も新しいものの一つと思われる。

関(せき)胎蔵界大日種子自然石塔婆

 関(せき)の古碑群(青森県西津軽郡深浦町関字栃沢)(No:11-18 前列、左から8基目)

  法華経 譬喩品に出る偈(げ)を刻んだ石塔婆で、紀年銘はないが南北朝時代の造立と思われる。

関(せき)金剛界大日種子自然石塔婆(県指定史跡、南北朝時代、安山岩、高さ 87.5Cm 幅 52Cm)

表面全体に方形の輪郭線を入れ、上方 二重月輪内に種子「ア」、下方は四行で法華経 譬喩品に出る偈(げ)を刻む。

石塔婆 上部

一重の輪郭線内、二重の月輪内に胎蔵界大日如来の種子「ア」を大きく刻む。

石塔婆 下部

紀年銘がなく、四行の罫線内に法華経 譬喩品に出る偈(げ)を刻む。

偈(げ):「今此三界(こんしさんがい)皆是我有(かいぜがう)其中衆生(ごちゅうしゅじょう)悉是吾子(しつぜごし)

[ 今、この三界(欲界・色界・無色界)はみなこれ我が有するところ、その中の衆生はことごとく我が子なり ]

関(せき)の古碑群(自然石塔婆群)向って右端部 (県指定史跡、南北朝時代前期~室町時代前期)

写真、前列の向って右端が、唯一の室町期 応永八年銘石塔婆(No:11-16)。

関(せき)の古碑群(自然石塔婆群)現地説明板 (前列18基、後列24基、Noがついている)

 関(せき)阿弥陀三尊種子自然石塔婆                       石仏と石塔-目次!

関(せき)の古碑群(自然石塔婆群) (県指定史跡、南北朝時代前期~室町時代前期)

写真、前列の中央 燭台の後が胎蔵界大日種子石塔婆(No:11-8)。

 板碑(いたび)

*JR五能線 「北金ヶ沢駅」下車、東南東方向へ 徒歩 約18分。

(撮影:平成25年10月15日)