大福寺(だいふくじ)(埼玉県加須市内田ケ谷1110)
武士や僧の名前を列記(交名)した板碑で、鎌倉時代中期 文永四年(1267)の紀年銘がある。
大福寺 交名(きょうみょう)板碑(鎌倉時代中期 文永四年 1267年、緑泥片岩、高さ 120Cm 下幅 56Cm)
板碑は上半を欠損。下方の刻銘は二段で、上段中央に紀年銘、左右に法華経化城喩品に出る偈、その左右と下段に交名を刻む。 |
上段の刻銘
中央に「文永二二(四)年(1267)丁卯、五月」の紀年銘、左右に「法華経化城喩品に出る偈(げ)」、
その左右に「口阿弥陀仏」、「小長谷守立」の交名を刻んでいる。
偈(げ):「願以此功徳(がんにしくどく) 普及於一切(ふぎゅうおいっさい) 我等与衆生(がとうよしゅじょう) 皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう」
[ 願わくばこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん ]
下段の刻銘
中央に「・・圓 口・・ 口陀仏」、向って右側に二行「僧行圓願阿弥陀仏伴太入道平・・・」、「僧口範玄口西口源三郎」、
向って左側に二行「口阿弥陀仏口阿弥陀仏 口口」、「僧亥念僧論口甲斐殿 敬白」の交名(きょうみょう)を刻んでいる。
大福寺(だいふくじ)(埼玉県加須市内田ケ谷1110)
阿閦(あしゅく)如来の種子を主尊とする板碑で、鎌倉時代中期 文永七年(1270)の紀年銘がある。
大福寺 阿閦(あしゅく)一尊種子板碑 (鎌倉時代中期 文永七年 1270年、緑泥片岩、高さ 116Cm 下幅 30Cm)
中央 天福二年(1234)銘板碑の右側に立つ板碑で、主尊の阿閦種子「ウーン」を蓮座上に大きく、下方に紀年銘を刻む。 |
板碑 頭部
頭部山形の一部を損傷、下に二条線、身部の輪郭はない。、
蓮座上に阿閦如来の種子「ウーン」を薬研彫する。 | 刻銘:「文永七年(1270)庚午、三月 日」 |
大福寺(だいふくじ)板碑群
中央の天福二年(1234年)銘 板碑を挟んで左に五基、右に四基、計十基の板碑群
大 福 寺 本 堂
ここに館を構えた多賀谷氏は武蔵七党に属し、源頼朝の上洛に際し活躍した。
*東武伊勢崎線 加須(かぞ)駅前から朝日バス 鴻巣駅・免許センター行きバスに乗車、「騎西1丁目バス停」下車 、西北方向へ 約1.7Km。
(撮影:平成22年4月9日、平成25年3月7日)