大福寺(だいふくじ)板碑群(2)

 大福寺(だいふくじ)(埼玉県加須市内田ケ谷1110)

 大福寺(だいふくじ)阿弥陀種子断碑

   板碑群中、向かって左端の板碑で、上半を欠失、身部下方に観無量経に出る偈(げ)と鎌倉時代後期 延慶四年(1311)の紀年銘を刻んでいる。

大福寺(だいふくじ)阿弥陀種子断碑 (鎌倉時代後期 延慶四年 1311年、緑泥片岩、高さ 77Cm 下幅 29Cm)

板碑は、阿弥陀種子の一部を残し上半を欠失、身部は一重線の輪郭を巻き、下方に光明遍照 偈(げ)と紀年銘を刻む。

光明遍照 偈は、阿弥陀種子板碑・名号(南無阿弥陀仏)板碑・阿弥陀図像板碑にだけ刻まれている偈(げ)で、板碑の偈では一番多い。

本板碑は、光明遍照偈が刻まれているが故に、主尊種子が「キリーク」と分かる。

身部下方の刻銘

中央に「延慶二二(四)(1311)二月十一日」の紀年銘、左右に観無量寿経に出る光明遍照 偈を刻む。

偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)十方世界(じっぽうせかい)」「念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)摂取不捨(せっしゅふしゃ)

[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]

 大福寺(だいふくじ)釈迦一尊種子断碑

  大福寺(だいふくじ)(埼玉県加須市内田ケ谷1110)

    板碑群中、向かって左から二基目の板碑で、上半を欠失、光明真言と南北朝時代中期 延文二年(1357)の紀年銘を刻んでいる。

大福寺(だいふくじ)釈迦一尊種子断碑(南北朝中期 延文二年 1357年、緑泥片岩、高さ 86Cm 下幅 28Cm)

上半を欠失。身部上方は、蓮座上に釈迦如来の種子「バク」、下方は中央に「延文二年(1357)丁酉、十二月 日」

左右に「光明真言」「妙口」、「禅尼」の造立者名を刻む。

蓮座上に釈迦如来の種子「バク」を刻む。 身部下方の刻銘

下方の刻銘は、中央に「延文二年(1357)丁酉、十二月 日」、左右に「妙口」、「禅尼」の造立者名「光明真言」を刻む。

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ」「シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ」「ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」

 大福寺(だいふくじ)阿弥陀一尊種子板碑

  大福寺(だいふくじ)(埼玉県加須市内田ケ谷1110)

    板碑群中、向かって左から三基目板碑の前に立つ小板碑で近年に置かれた。鎌倉時代後期 乾元二年(1303)の紀年銘がある。

口口口口大福寺(だいふくじ)阿弥陀一尊種子板碑 (鎌倉時代後期 乾元二年 1303年、緑泥片岩)口口口口

頭部山形、下に二条線、身部は一重線の輪郭を巻き、上方蓮座上に阿弥陀種子「キリーク」、下方に「乾元二年(1303)、二月、六日」の紀年銘を刻む。

蓮座上に阿弥陀如来の種子「キリーク」を薬研彫する。 刻銘:「乾元二年(1303)、二月、六日」

 大福寺(だいふくじ)一尊種子断碑

  大福寺(だいふくじ)(埼玉県加須市内田ケ谷1110)

    板碑群中、中央から右へ二基目の板碑。残った刻銘の一部と作風から鎌倉時代中期の作品と思われる。

大福寺(だいふくじ)一尊種子板碑(鎌倉時代中期、緑泥片岩、高さ 114Cm 幅 約45Cm 厚さ 7Cm)
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板碑は、上半を欠損。身部は二重線の輪郭を巻き、上方蓮座上に主尊種子を刻むが尊名は不明。下方は剥落、刻銘が若干残る。

刻銘は、中央に「弘口・・・・・・十一月廿日」、左右に「一切・・・・・・・・・・・」、「口口口佛生・・・・・・・・」が残る

中央の紀年銘は、弘長(1261~64年)か弘安(1278~88年)と思われる。

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大福寺(だいふくじ)板碑群

中央の天福二年(1234年)銘 板碑を挟んで左に五基、右に四基、計十基の板碑群

 板碑(いたび)

*東武伊勢崎線 加須(かぞ)駅前から朝日バス 鴻巣駅・免許センター行きバスに乗車、「騎西1丁目バス停」下車 、西北方向へ 約1.7Km。

(撮影:平成22年4月9日、平成25年3月7日)