丹生都比売(にうつひめ)神社 五輪卒塔婆群と板碑

 丹生都比売(にうつひめ)神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230)

   「女人高野」、弘法大師母公の寺として親しまれている高野山真言宗の別格本山。高野山表参道(町石道)の入口。

五輪卒塔婆群(県指定文化財、鎌倉後期〜南北朝初期、花崗岩・安山岩、正応塔の高さ 295Cm)

右から二基目(鎌倉後期 正安四年 1302年、花崗岩、定慶他170名) 右端(南北朝時代初期 延元元年 1336年、花崗岩、泰助他30名)

右端と二基目の五輪卒塔婆は両塔とも、上部を折損し下に置く。右端の延元元年銘卒塔婆は、正面上方に出典未詳の偈(げ)、右側面に大工 國長の名を刻む。

偈(げ):「我今依於大教主(がこんえおだいきょうしゅ)遍照如来成道法(へんじょうにょらいじょうどうほう)

若能依此勝義修(にゃくのうえししょうぎしゅ)現世得成無上覚(げんせとくじょうむじょうがく)

[ 我れ今、大教主(大日如来)により、遍照如来の道法を成ず。もしよく此の勝義を修ずれば、現世に無上覚(悟りをひらくこと)を成じうる ]

丹生都比売(にうつひめ)神社五輪卒塔婆

四基の五輪卒塔婆は大峰修験者(山伏)が大峰入峯に際し建立したもので、元は神社境内に立っていたが明治の神仏分離により現在地に移された

五輪卒塔婆:左端(鎌倉後期 文保三年 1319年、覚祐他180名) 左から二基目(鎌倉後期 正応六年 1293年、安山岩、幸明他90名)

五輪卒塔婆は、いずれも花崗岩で作られているが、一番古い正応六年塔のみ安山岩で作られている

正応塔銘:「為酬四恩徳、書写一乗文、多此百部功、普利衆生界」「正応六年、癸巳、四月廿一日、大先達阿闍梨幸明」

脇ノ宿 石厨子

もと「脇ノ宿」にあったが明治に移された。内部に「役行者(えんのぎょうじゃ)」の石像が安置されている

光明真言板碑(江戸時代前期 寛文二年 1662年、高さ 240Cm)、背面(右写真)には、たくさんの僧名が刻まれている

光明真言板碑上部

中心は梵字で大日如来の報身真言「ア ヴィ ラ ウン ケン」を刻み、円形の部分に中央下より時計回りに光明真言を刻む

光明真言:「オン ア ボ ギャ ベイ ロ シャナ マ カボ ダラ マ ニ ハン ドマ ジンバラ ハラ バ リタ ヤ ウーン」

下部は梵字で、「ボローン(一字金輪)」と「キリーク」を刻む。 自然石板碑、中央上部に大きく大日如来の種子「バン」を刻む

太鼓橋 (朱塗りの鳥居をくぐると正面にこの橋がある)

 西行(さいぎょう) 妻・娘 宝篋印塔                       石仏と石塔-目次!

丹生都比売神社楼門(重要文化財、室町時代)

 板碑(いたび)

五輪塔紀年順  観音寺(かんのんじ)五輪塔(鎌倉時代後期)  五輪塔-紀年順-目次

*JR和歌山線「笠田(かせだ)駅」より、かつらぎ町 コミュニティバス「天野コース」乗車 「丹生都比売神社前バス停」下車すぐ

(撮影:平成20年10月7日)