徳蔵寺(とくぞうじ)(東京都東村山市諏訪町1-26-3)
阿弥陀三尊種子を刻んだ板碑で、二基とも全く同じ形式で南北朝時代中期 延文四年(1359)の造立。二基は双式板碑で、比翼碑というロマンチックな名で呼ばれている。
徳蔵寺(とくぞうじ) 阿弥陀三尊種子板碑 二基 (比翼碑)
(市指定文化財、南北朝時代中期 延文四年 1359年、緑泥片岩、高さ 75Cm 下幅 28Cm)
比翼碑(ひよくひ)は徳蔵寺より約300m南、東村山市久米川町四丁目 白山神社隣の墓地にあったもの。
二基並んで展示されている向って右側の板碑で、ひらがなの供養者名が判読できていない。二基は双式で、夫婦の逆修供養塔と見られている。
徳蔵寺(とくぞうじ) 阿弥陀三尊種子板碑 (比翼碑)(向って右側)
(市指定文化財、南北朝時代中期 延文四年 1359年、緑泥片岩、高さ 75Cm 下幅 28Cm)
「元弘の碑」の対面側、中央に展示されている。身部は、上方に阿弥陀三尊種子、下方中央に紀年銘、左右に「観無量寿経」に出る偈と供養者名を刻む。
板碑 頭部
頭部山形、下に二段の切込、身部は二重線の輪郭を巻く。
「阿弥陀三尊」の種子を蓮華座上に刻む。 | 刻銘:「延文二二(四)年(1359)十一月五日」 |
阿弥陀三尊種子は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下 に観音菩薩の種子「サ」、左に勢至菩薩の種子「サク」を刻む。
身部下方の刻銘
中央に「延文二二(四)年(1359)十一月五日」、左右に「口口口ゐ、逆修」、その外側左右に各二行「観無量寿経に出る偈(げ)」を刻む。
偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)、念佛衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)」
[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]
双式板碑、向って左側の板碑で、右側と同様 ひらがなの供養者名が判読できていない。二基とも南北朝時代中期延文四年(1359)の在銘碑。
徳蔵寺(とくぞうじ) 阿弥陀三尊種子板碑 (比翼碑)(向って右側)
(市指定文化財、南北朝時代中期 延文四年 1359年、緑泥片岩、高さ 75Cm 下幅 28Cm)
身部はもう一基と全く同じで、上方に阿弥陀三尊種子、下方中央に紀年銘、左右に「観無量寿経」に出る偈と供養者名を刻む。
板碑 頭部
頭部山形の一部を欠損する。下に二段の切込、身部は二重線の輪郭を巻く。
「阿弥陀三尊」の種子を蓮華座上に刻む。 | 刻銘:「延文二二(四)年(1359)十一月五日」 |
阿弥陀三尊種子は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下 に観音菩薩の種子「サ」、左に勢至菩薩の種子「サク」を刻む。
身部下方の刻銘
中央に「延文二二(四)年(1359)十一月五日」、左右に「口口口ん、逆修」、その外側左右に各二行「観無量寿経に出る偈(げ)」を刻む。
偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)、念佛衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)」
[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]
徳蔵寺(とくぞうじ)本堂
徳蔵寺は、臨済宗 大徳寺派の寺院で、本尊は白衣観世音菩薩。
*西武新宿線「東村山駅」下車、北方向へ徒歩 約16分。館内の板碑群は、整理が行き届いており、ここを拝観するだけで武蔵型板碑の概観を知ることができる。ぜひ、一見をお勧めしたい。(月曜日休館、拝観料 200円)。尚、当方URLの最後の数字は、徳蔵寺板碑の通し番号に合わせています。
(撮影:平成25年3月6日)