浅羽橋場(あさばはしば)の板碑(埼玉県坂戸市浅羽)
浅羽野4号墳という円墳の上に立つ板碑で、高さ 231Cmの堂々たる姿を見せる。鎌倉時代後期 応長二年(1312)の紀年銘がある。
中浅羽墓地 阿弥陀種子板碑(市指定文化財、鎌倉時代後期 応長二年 1312年、緑泥片岩、高さ 231Cm 下幅 59Cm)
中浅羽墓地という小さい墓地の上方に立つ。身部は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」を蓮華座上に、下方は紀年銘や銘文を刻む。 |
板碑 頭部
頭部 山形、下に二段の切込、額部は突出する。身部の輪郭はない。
身部上方、蓮華座上に阿弥陀の種子「キリーク」を刻む | 身部、下方の刻銘 |
身部下方の刻銘は、中央に「應長二年(1312)、壬子、三月十五日」、上方に「観無量寿経」に出る光明遍照十方世界の偈(げ)、
下方左右に各二行「右志者為自他法界、衆生也結衆三十人」、「大檀那 阿部友吉、幷 長田守行」と刻む。
阿部友吉、長田守行の二名が大檀那となり、三十名の念仏衆が結衆して鎌倉時代後期 応長二年(1312)三月十五日に造立した。
観無量寿経に出る偈(げ)
偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)、念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)」
[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]
阿弥陀種子板碑・名号(南無阿弥陀仏)板碑・阿弥陀図像板碑にだけ刻まれている偈(げ)で、板碑の偈では一番多い。
刻銘:「應長二年(1312)、壬子、三月」 | 浅羽野4号墳(円墳)の上に立つ二メートルを超える大板碑 |
身部下方の刻銘
刻銘:「右志者為自他法界、衆生也結衆三十人」、「大檀那 阿部友吉、幷 長田守行」
板碑 根部
根部は、薄く突出する。
板碑背面と中浅羽墓地
前方は、幹線道路が走っている。
*東武東上線 「坂戸駅」下車、南西方向へ徒歩 約22分。
(撮影:平成25年3月5日)