一乗谷遺跡・西山光照寺跡 石仏群(3)

 西山光照寺(にしやまこうしょうじ)(福井県福井市阿波賀町)

  西山光照寺は、天台宗真盛派に属し、朝倉一族内の勢力争いに敗れた鳥羽将景(初代 朝倉孝景の叔父)を弔うために建てられ盛舜(せいしゅん)上人により再興

  された寺院と伝えられている。寺院跡には大型の石仏が、南北に向かい合う形で約四十体が並べられている。石材は、笏谷石(しゃくだにいし)を用いている。

 西山光照寺跡(にしやまこうしょうじあと)不動石仏(南面・西側の石仏)

  不動石仏は、西山光照寺跡石仏群のなかで、最大の大きさを持つ石仏

西山光照寺跡不動石仏 (史跡、室町時代後期 天文二年 1533年、凝灰岩、高さ 260Cm)

火焔光背の前で、左耳前から左肩上にかけて弁髪を垂らし、右手に利剣、左手に羂索を持つ不動明王が厚肉彫りに刻まれている。

光背背面には、不動経に出る偈(げ)が刻まれている。この偈は、不動明王の四弘誓といい、不動明王が衆生に誓願したもの。

不動経の偈:「見我身者発菩提心(けんがしんしゃほつぼだいしん)、聞我名者断悪修善(もんがみょうしゃだんなくしゅぜん)

聴我説者得大智慧(ちょうがせっしゃとくだいちえ)、知我心者即身成仏(ちがしんしゃそくしんじょうぶつ)

我が身(不動明王)を見る者は、菩提心(悟りを求める心)をおこし、我が名を聞くものは、悪を断ち善を修し、

我が説法を聴くものは、大いなる知恵を得、我が心を知るものは、即身に成仏せん。 ]

不動明王は、西山光照寺跡石仏群のなかで、最大の大きさを持つ石仏で「天文二年(1533)」の紀年銘がある

 西山光照寺跡セイタカ童子(南面・西側の石仏)

セイタカ童子(史跡、室町時代後期、凝灰岩)、不動明王の脇侍で矜羯羅童子と一対だが、矜羯羅童子は欠けている

西山光照寺跡石仏群、南面・西側の石仏(二体、史跡、室町時代後期、凝灰岩)

北面・西側の覆屋には、不動三尊の矜羯羅童子(こんがらどうじ)が欠け、不動明王とセイタカ童子の二尊が納められている

 西山光照寺跡石仏群、東面の石仏

阿弥陀如来立像(史跡、室町時代後期 永禄年間 1558~1569年、凝灰岩、像高 118Cm)

阿弥陀如来は来迎印を結び、光背には頭光から放射状に光明が刻まれている。光背に永禄(1558~1569)の年号が刻まれている

虚空蔵菩薩 (史跡、室町時代後期、凝灰岩)

右手は剣を立て、左手に宝珠を持つ。虚空蔵は、虚空のごとく無量の知恵や功徳を蔵する菩薩

石造残欠(室町時代後期、凝灰岩 石造残欠(室町時代後期、凝灰岩

石造残欠は、阿弥陀石仏と虚空蔵石仏の前に置かれている

三尊石仏 (史跡、室町時代後期、凝灰岩)

三尊とも単弁の蓮華座に立つ。中尊が合掌し、向かって右手は錫杖・宝珠を持つ地蔵。虚空蔵菩薩の前に置かれていた

 一乗谷遺跡・西山光照寺跡(こうしょうじあと)石仏群(4)            石仏と石塔-目次!

西山光照寺跡石仏群、東面の石仏(史跡、室町時代後期、凝灰岩)

大型の石仏は、阿弥陀と虚空蔵の二体で、両側のスペースに山と積まれた一石五輪塔の残欠が納められている

 石  仏-紀年順-目次

*JR越美線「一乗谷駅」下車 南西方向へ徒歩3分。

(撮影:平成21年11月25日)