福現寺(ふくげんじ)阿弥陀種子石塔婆

 福現寺(ふくげんじ)(宮城県栗原市高清水中町38)

   「光明遍照 偈(げ)」を刻む大型石塔婆で、鎌倉時代中期 弘安三年(1280)の紀年銘がある。

福現寺(ふくげんじ)阿弥陀種子石塔婆( 鎌倉時代中期 弘安三年 1280年、粘板岩、高さ 196.9Cm 下幅 73.4Cm)

門内左手に立つ。頭部は山形に荒く成形、身部は上方に阿弥陀種子、下方は観無量寿経に出る偈(げ)と願文・紀年銘・造立者名を刻む。

石塔婆は、もと大崎市古川小野 羽黒にあったものを江戸時代前期に移動したもので、その経緯は、石塔婆の裏面に記録されている。

石塔婆、上部

阿弥陀如来の種子「キリーク」を薬研彫する。

石塔婆下部、刻銘全文 刻銘:「弘安三秊(1280)

石塔婆下部の刻銘は、上方に「観無量寿経に出る偈(げ)」、下方に「右奉為、先孝幽霊、成仏得道」、

「弘安三秊(1280)、歳次庚辰、季春(三月)上旬」、「平行、敬白と刻む。

観無量寿経に出る偈(げ)

偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)、念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)

[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]

石塔婆刻銘、最下部

刻銘:「右奉為、先孝幽霊、成仏得道」、「弘安三秊(1280)、歳次庚辰、季春(三月)上旬」、「平行、敬白

「平 行の名については、平姓と諱(いみな)に の文字をあてる特徴から「大掾氏一族」とみられている。

福現寺(ふくげんじ)阿弥陀種子 改刻石塔婆

 福現寺(ふくげんじ)(宮城県栗原市高清水中町38)

   もと金剛界大日種子「バン」が刻まれていたが、その部分に阿弥陀種子を刻み江戸時代の墓標として再利用する。

福現寺阿弥陀種子 改刻石塔婆( 中世の石塔婆を江戸時代に再利用、粘板岩、高さ 210.9Cm 幅 72Cm)

江戸時代の墓標として再利用されている石塔婆 石塔婆、下方の刻銘

阿弥陀種子「キリーク」の下に延宝三年(1675)九月二十七日」「元禄七年(1694)三月三日」の没年銘が入る。

江戸時代に墓標とし再利用した中世の石塔婆で、夫婦と思われる男・女の法名を刻んでいる。

 童子川(どうしがわ)稲荷社両部曼荼羅種子石塔婆                 石仏と石塔-目次!

本堂の裏側に立つ石塔婆群

 板碑(いたび)

*JR陸羽東線 古川駅前からミヤコーバス古川線 栗原中央病院行きに乗車、「高清水バス停」下車、南方向へ徒歩 約3分。

(撮影:平成26年4月14日)