峯薬師堂 阿弥陀三尊種子二連板碑

 藤田寺(とうでんじ)(宮城県角田市藤田字峯206)

  藤田寺境内奥、峯薬師堂の参道脇に立つ二連板碑で、鎌倉時代中期 文永十二年(1275)の紀年銘がある。

阿弥陀三尊種子 二連板碑(市指定文化財、鎌倉時代中期 文永十二年 1275年、凝灰岩、高さ 123Cm)

藤田寺本堂裏、峯薬師堂の参道脇に立つ。幅広の石材を、板碑形二基に彫成した二連板碑で、それぞれ阿弥陀三尊種子を主尊とする。

板碑は、亘理氏(わたりし)の城館とされる医王城跡から移されたと伝えるが不明。

板碑 上部

身部は一重線の輪郭を巻き、各々内に阿弥陀三尊の種子を薬研彫する。

三尊種子は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下 に観音菩薩の種子「サ」、左下に勢至菩薩の種子「サク」を刻む。

板碑下部、刻銘

両脇に各二行 四句の偈(げ)、中央に文永十二年(1275)の紀年銘、その左右に各二行 願文が刻まれている。

刻銘:両脇(偈)弘誓多聞四十八、偏標念佛最為真」、「人能念佛佛還憶、専心想佛佛知人」

中央(紀年銘)文永十二年(1275)、大歳、乙亥、正月三十口日」

左右(願文)「右志者為過去幽、霊出離生死成」、「得口口法界衆生、平等利益也敬白」

「人能念佛佛還憶、専心想佛佛知人」 弘誓多聞四十八、偏標念佛最為真」

〈 出典:転経行道願往生浄土法事賛(てんぎょうぎょうどうがんがんおうじょうじょうどほうじさん) 巻上 〉

偈(げ):「弘誓多聞四十八(ぐぜいたもんしじゅうはち)、偏(遍)標念佛最為真(親)、人能念佛佛還憶(念)、専心想佛佛知人」

[ 法蔵菩薩(阿弥陀)の誓願は多聞にして四十八なれど、偏(ひと)えに念仏を標(ひょう)ずれば最も真(しん)となる。

、人よく仏(阿弥陀仏)を念ずれば、仏また人を憶(おも)う。専心に仏を想(おも)えば、仏は人をよく知りたもう。 ]

( )は、出典記載の文字で、板碑とは三字異なる。

刻銘(左):「得口口法界衆生、平等利益也敬白」 刻銘(右):「右志者為過去幽、霊出離生死成」

願 文

願文:「右志者為過去幽、霊出離生死成」、「得口口法界衆生、平等利益也敬白」

刻銘:文永十二年(1275)、大歳、乙亥、正月」 ここでは双式碑と紹介され、県内に三基ある内の最古という。

阿弥陀三尊種子 二連板碑 側・背面(市指定文化財、鎌倉時代中期)

峯薬師堂(みねやくしどう)(薬王院薬師堂)

向拝の柱には、「薬王院薬師堂」とかかっていた。

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藤田寺(とうでんじ)(天台宗)

 板碑(いたび)

*阿武隈急行「角田駅」下車、東方向へ約4.8Km。

(撮影:平成25年10月10日)