専福寺(せんぷくじ)(宮城県角田市字裏林43)
彫りは浅いが格調の高い板碑で、鎌倉時代中期 弘安元年(1278)の紀年銘がある。
阿弥陀種子板碑(市指定文化財、鎌倉時代中期 弘安元年 1278年、流紋岩、高さ 143Cm 幅 89Cm 厚さ 18Cm)
境内南側、覆屋の中に立つ。身部は、上方に大きく阿弥陀種子、その左右に四仏種子、下方に「光明遍照」偈、願文、紀年銘を刻む。 |
専福寺は時宗の寺院で、寺伝によれば鎌倉時代中期 建治三年(1277)に一遍上人により開山されたと伝える。
板碑 頂部
頂部は、アーチ型で、側面は斜めに削られている。
板碑 上部
身部は一重線の輪郭を巻き、中央の方形の輪郭内に大きく阿弥陀種子「キリーク」 、両脇に細い枠をつくり向って右側枠内上方に
金剛界大日種子「バン」、下方に不動明王の種子「カーンマーン」、左側枠内上方に毘沙門天の種子「バイ」、下方に愛染明王の種子「ウーン」を刻む。
板碑下部、刻銘
中央に弘安元年(1278)の紀年銘、左右の刻銘は二段に分け、上段に観無量寿経に出る偈(げ)、下方に願文を刻む。
刻銘:中央(紀年銘)「弘安元年(1278)、戊寅、四月十一日」
刻銘:左右上段(偈)「光明遍照、十方世界」、「念仏衆生、摂取不捨」
左右下段(願文)「右志者為、亡藤原氏女」、「既以得道兼、法界衆生也」
偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)、念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)」
[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]
刻銘:「弘安元年(1278)」 | 板碑、側・背面 |
覆屋内の石塔婆
弘安元年(1278)銘石塔婆は、向って右。他の二基は、不明。
専福寺(せんぷくじ)本堂
大正五年(1916)火災により焼失、昭和五十年(1975)に再建された。
下鳥渡(しもとりわた)供養石塔 (陽泉寺阿弥陀三尊石仏) 石仏と石塔-目次!
専福寺(せんぷくじ)(時宗)
*阿武隈急行「角田駅」下車、南方向へ約800m。
(撮影:平成25年10月10日)