弥勒寺(みろくじ)(宮城県登米市中田町上沼字弥勒寺 寺山63)
碑面に五輪塔を線刻した石塔婆で、鎌倉時代後期 正和二年(1313)の紀年銘がある。
弥勒寺(みろくじ)五輪塔石塔婆 (鎌倉時代後期 正和二年 1313年、粘板岩、高さ 93Cm 幅 38.5Cm)
石塔婆群後列、向って右から三基目に立つ。上端を欠損、碑面は五輪塔を線刻し、下方に願文と紀年銘を刻む。 |
石塔婆 下部
左右に「・・・亡夫聖」、「霊・・・故也」、中央に「正和二年(1313)十二月十三日」の刻銘がある。
線刻された五輪塔形 | 刻銘:「正和二年(1313)十二月十三日」 |
五輪塔は、各輪に四門の梵字を刻んでいる。
弥勒寺(みろくじ)(宮城県登米市中田町上沼字弥勒寺 寺山63)
上部 向って左半を欠損、下方に法華経 化城喩品に出る偈(げ)と徳治二年(1307)の紀年銘がある。
弥勒寺(みろくじ)胎蔵界大日種子石塔婆(中央) (鎌倉時代後期 徳治二年 1307年、粘板岩)
上部 向って左半を欠損するが胎蔵界大日種子「ア」が読み取れる。下方は「法華経化城喩品」に出る偈(げ)と願文・紀年銘を刻む。
生前に死後の法要を営む「逆修供養」として造立された。 | 石塔婆、下方の刻銘 |
下方の刻銘は二段に分け、上方に「法華経 化城喩品」に出る偈(げ)、下方左右に「右志者為逆修善根」、「乃至・・・・・・也」、
下方中央に「徳治二年(1323)、大才、丁未、十一月三日」の紀年銘を刻む。
法華経化城喩品に出る偈(げ)
偈(げ):「願以此功徳(がんにしくどく) 普及於一切(ふぎゅうおいっさい) 我等与衆生(がとうよしゅじょう) 皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう」
[ 願わくばこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん ]
弥勒寺(みろくじ)石塔婆群 (鎌倉時代後期~室町時代)
弥勒寺(みろくじ)館跡
「安永風土記」には「館山に古館壱つ、但し城主相知不申候事」、「仙台領主古城書上」には「山 弥勒寺城 東西三〇間
南北一五間 鈴木正斎入道の館したところ」、の記録があり、本丸・二の丸・空濠からなっています。(上記写真の標識、説明文)
*登米市民バス 東和線に乗車、「堀米バス停」下車、北方向へ 約1.6Km。少し遠いが、JR気仙沼線 柳津(やないず)駅で、レンタサイクルを利用できる。
(撮影:平成26年 4月11日)