長福寺(ちょうふくじ)(埼玉県さいたま市北区別所町98-6)
阿弥陀如来の種子「キリーク」を主尊とする板碑で、南北朝時代末期 嘉慶三年(1389)の紀年銘がある。
長福寺 阿弥陀一尊種子板碑(市指定文化財、南北朝時代後期 嘉慶三年 1389年、緑泥片岩、高さ 85Cm 下幅 25Cm) |
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板碑群前列、向って左から二基目。身部は、上方に阿弥陀の種子「キリーク」を蓮座上に、下方に紀年銘と光明遍照偈を刻む。 |
板碑 頭部
頭部 山形、下に二条線、身部は一重線の輪郭を巻く。
主尊の阿弥陀種子「キリーク」
蓮座上に阿弥陀如来の種子「キリーク」を薬研彫する。
身部下方の刻銘 | 刻銘:「嘉慶三年(1313)」 |
身部下方は、中央に「嘉慶三年(1389)三月廿日、道口」、左右に各二行「観無量寿経」に出る光明遍照偈を刻む。
尚、嘉慶三年(1389)は二月八日迄で、二月九日に改元され康応元年(1389)になっている。従って、三月二十日は康応元年になる。
観無量寿経に出る偈(げ)
偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)、念佛衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)」
[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]
長福寺(ちょうふくじ)(埼玉県さいたま市北区別所町98-6)
阿弥陀如来の種子「キリーク」を主尊とする板碑で、南北朝時代後期 至徳四年(1387)の紀年銘がある。
長福寺 阿弥陀種子板碑(市指定文化財、南北朝時代後期 至徳四年 1387年、緑泥片岩、高さ 65Cm 下幅 19Cm)
板碑群前列、向って左から三基目。身部は、上方に阿弥陀の種子「キリーク」を蓮座上に、下方に「至徳四年(1387)」の紀年銘を刻む。 |
板碑 頭部
頭部山形、下に二条線、身部は一重線の輪郭を巻く。
主尊、阿弥陀如来の種子「キリーク」 |
刻銘:「至徳二二(四)年(1387)」 |
蓮座上に阿弥陀如来の種子「キリーク」が刻まれている。
身部 下方の刻銘
中央に「至徳二二(四)年(1387)」、左右に「正月、廿日」、「四仏」と刻む。
長福寺 応永十九年銘 阿弥陀三尊種子板碑 石仏と石塔-目次!
長福寺(ちょうふくじ)板碑群 前列
前・後列、合わせて十三基の板碑が覆屋内に安置され、一括で市の文化財に指定されている。
十三基の板碑は、弘長元年(1262)を最古とし、最新が天文二十年(1551)で、実に290年もの期間に亘っている。
大谷郷に属していたこの地域は、南北朝時代が始まった年 建武元年(1334)に、足利直義が三浦介時継に恩賞として与えている。
*JR高崎線 宮原駅西口から東武バスウェスト 「別所団地・しらかば通り」行きに乗車、「しらかば通りバス停」下車、北方向へ約300m。
(撮影:平成25年3月10日)