長福寺 応永十九年銘 阿弥陀三尊種子板碑

 長福寺(ちょうふくじ)(埼玉県さいたま市北区別所町98-6)

   比丘尼口妙の逆修供養の為、室町時代前期 応永十九年(1412)に造立された板碑で、光明真言が変則的に四行で刻まれている。

長福寺 阿弥陀三尊種子板碑(市指定文化財、室町時代前期 応永十九年 1412年、緑泥片岩、高さ 115Cm 下幅 34Cm)
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板碑群後列、向って右端に立つ。身部は、上方に阿弥陀三尊の種子を蓮座上に、下方に供養者名・紀年銘と光明真言を刻む。

板碑 頭部

頭部 山形、下に二条線、身部は一重線の輪郭を巻く。

蓮座上に「阿弥陀三尊」の種子を刻む。 刻銘:「応永十九年(1412)

阿弥陀三尊種子は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下 に観音菩薩の種子「サ」、左に勢至菩薩の種子「サク」を蓮座上に刻む。

身部 下方の刻銘

中央に「応永十九年(1412)八月 日」、左右に「梵字光明真言」「逆修」、「比丘尼口妙」の文字を刻む。

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ、シャ」「ナ、マ、カー、ボ、ダラ、マ、ニ」 「ハン、ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ、リタ」「ヤ、ウーン」

長福寺 天文二十年銘 阿弥陀三尊種子板碑

 長福寺(ちょうふくじ)(埼玉県さいたま市北区別所町98-6)

  板碑群中 紀年銘が一番新しい板碑で、天蓋状に光明真言が刻まれている。室町時代後期 天文二十年(1551)の在銘碑。

長福寺 阿弥陀三尊種子板碑(市指定文化財、室町朝時代後期 天文二十年 1551年、緑泥片岩、高さ 51Cm 下幅 19Cm)
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板碑群前列、向って右から二基目。身部は、天蓋状光明真言の下に阿弥陀三尊の種子、下方中央に供養者名、左右に紀年銘を刻む。

阿弥陀三尊種子は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下 に観音菩薩の種子「サ」、左に勢至菩薩の種子「サク」を月輪内に刻む。

板碑 頭部

頭部 山形、下に二条線、身部の輪郭はない。

主尊 阿弥陀如来の種子「キリーク」と「天蓋状の光明真言」

阿弥陀種子「キリーク」は蓮座上月輪内に、光明真言は向って右下から反時計回りに刻まれている。

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ、シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ、マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」

天蓋状光明真言の例は、さいたま市北区の真福寺阿弥陀三尊種子板碑があり、同形式で同年(室町時代後期 天文二十年 1551年)に造立されている。

身部 下方の刻銘

最下部が埋まっているが、中央に「道祐禅・・」、左右に「天文廿年(1551)」「三月廿二日」と刻む。

 真福寺(しんぷくじ)永和二年銘 名号板碑                     石仏と石塔-目次!

長福寺(ちょうふくじ)板碑群

長福寺は真言宗智山派の寺院で、平安時代前期 弘仁三年(812)の開創とされている。

板碑は、長福寺と南に位置する阿弥陀堂で発見され、その数192基。阿弥陀堂は、武蔵七党 猪俣党の庶流 岡部忠澄(六弥太)の建立と伝える。

中世、大谷郷に属していたこの地域は、建武元年(1334)に足利直義から三浦介時継に恩賞として付与されている。

 板碑(いたび)

*JR高崎線 宮原駅西口から東武バスウェスト 「別所団地・しらかば通り」行きに乗車、「しらかば通りバス停」下車、北方向へ約300m。

(撮影:平成25年3月10日)