向徳寺(こうとくじ)(埼玉県比企郡嵐山町大蔵 635)
前から二列目、向って左端の板碑で鎌倉時代後期 嘉元三年(1305)の紀年銘がある。
向徳寺阿弥陀三尊種子板碑(鎌倉時代後期 嘉元三年 1305年、緑泥片岩、高さ 112Cm 下幅 31Cm)
頭部山形を欠く、身部は一重の輪郭を巻き、上方に阿弥陀三尊種子を蓮華座上に、下方に「嘉元三年(1305)」の紀年銘を刻む。 |
板碑、下部の刻銘
中央に「嘉元三年(1305)乙巳」、左右に「七月、一日」、「口口、敬白」と刻む。
向徳寺(こうとくじ)(埼玉比企郡嵐山町大蔵 635)
最前列、向って右から二基目の板碑で、鎌倉幕府滅亡の年 元弘三年(1333)の紀年銘がある。
向徳寺(こうとくじ)断碑(鎌倉時代末期 元弘三年 1333年、緑泥片岩、高さ 59Cm 下幅 24Cm)
刻銘:「元亨三年(1333)癸酉、十二月廿三日」 | 板碑は上半を欠損し、下方の紀年銘だけが残っている。 |
蓮華座上の種子が少し残り、阿弥陀種子「キリーク」が刻まれていたことがわかる。
向徳寺(こうとくじ)(埼玉比企郡嵐山町大蔵 635)
前から二列目、向って右端の板碑で、南北朝時代初期 建武四年(1337)の紀年銘がある。
向徳寺阿弥陀一尊種子板碑(南北朝時代初期 建武四年 1337年、緑泥片岩、高さ 82Cm 下幅 26Cm)
頭部山形、下に二条線、身部は一重の輪郭を巻き、上方に阿弥陀の種子「キリーク」を蓮華座上月輪内に、下方に観無量寿経に出る偈と紀年銘を刻む。
刻銘は、下方中央に「建武四年(1337)、丁丑、十月日」、その左右に「光明遍照 十方世界」、「念仏衆生 摂取不捨」の偈を刻む。
偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)、念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)」
[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]
向徳寺(こうとくじ)応永十六年銘 阿弥陀三尊種子板碑 石仏と石塔-目次!
向徳寺 板碑群 配置図 (現地説明板)
*東武東上線 「武蔵嵐山駅」下車、南方向へ徒歩 約25分。
(撮影:平成24年11月10日)