多福院(たふくいん)大日堂脇 石塔婆群

 多福院(たふくいん)大日堂脇石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  多福院で三番目に古い弘安六年銘 阿弥陀種子石塔婆や一番古い建治元年銘図像石塔婆を中心に約20基の石塔婆が覆屋の中に置かれている。

多福院(たふくいん)大日堂脇 石塔婆群 (市指定文化財、鎌倉時代中期~室町時代、粘板岩)

本石塔婆群は、総じて摩耗が進んでいる碑や断碑が多いように感じられた。

阿弥陀種子石塔婆 (市指定文化財、 弘安六年 1283年) 図像石塔婆 (市指定文化財、 建治元年 1275年)
多福院で、三番目に古い。 多福院で、一番古い。

多福院 大日堂脇地蔵種子石塔婆

 多福院(たふくいん)大日堂脇石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  地蔵菩薩の種子「カ」を本尊とする碑で、南北朝時代後期 至徳四年(1387)の紀年銘がある。

多福院 大日堂脇 地蔵種子石塔婆 (市指定文化財、南北朝時代後期 至徳四年 1387年、粘板岩、高さ 83Cm 幅 23Cm)

身部は、上方に地蔵菩薩の種子「カ」、下方は三行で願文及び「至徳四年(1387)」の紀年銘を刻む。

石塔婆 下部、刻銘 (全文)

下部の刻銘は、中央に「右志者為 至徳二二(四)(1387)、丁卯、三月 日、敬白の紀年銘、

その両側に各一行「相当  禅門七分全得、忌辰乃至法界平等利益也」と刻んでいる。

多福院 大日堂脇永享七年銘石塔婆

 多福院(たふくいん)大日堂脇石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

   惜しくも上部を欠失する石塔婆で、室町時代前期 永享七年(1435)の紀年銘がある。

多福院 大日堂脇 石塔婆 (市指定文化財、室町時代前期 永享七年 1435年、粘板岩、高さ 80Cm 幅 25.5Cm)

上部は種子部まで欠失、下方は三行で願文及び「永享七年(1435)」の紀年銘を刻む。

下部の刻銘は、中央に「永享七年(1435)七月 日、施主、敬白の紀年銘、

その両側に各一行「善光寺前住祐清律師、忌辰乃至法界平等利益也」と刻んでいる。

刻銘:「永享七年(1435)、七月」 刻銘:善光寺前住祐清律師

多福院 大日堂脇石塔婆(断碑)

 多福院(たふくいん)大日堂脇石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  「石仏偈頌辞典」(加藤政久 編著、国書刊行会)に 本偈文の実例として紹介されている石塔婆で、残念ながら紀年銘は不明。

多福院 大日堂脇 石塔婆 (市指定文化財、推定:南北朝~室町時代 、粘板岩、高さ 71Cm 幅 31.5Cm )

石塔婆の上部を欠失。残存部は五輪九字明秘密釈 に出る 偈(げ)、

地面に埋まっている部分に右志者・・・・、逆修・・・・・・・の刻銘が残っている。紀年銘は不明。

観我大日  → 無疑惑者  → 現在生間  → 頓断無明

五輪九字明秘密釈 に出る 偈(げ)

偈(げ):観我大日(かんがだいにち)無疑惑者現在生間頓断無明

[ 我は大日と観ず。疑惑無き者は、現在生の間に、すみやかに無明(むみょう)を断ずべし ](読みは「興教大師撰述集」)

※ 無明(むみょう):邪見・俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知。

※ 多福院と慈恩院の石塔婆(当HP,掲載分) 時代別一覧

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多福院(たふくいん)大日堂脇 石塔婆群

覆屋の中、木の柵を設けて置かれている。

 板碑(いたび)

*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約1.6Km。

(撮影:平成26年4月10日)