多福院(たふくいん)本堂脇石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)
珍しいアン字房種子を含めて十四の種子からなる十三仏石塔婆で、十三仏を刻んだものとしては宮城県最古と思われる。
多福院 十三仏種子石塔婆(市指定文化財、室町時代前期 応永四年 1397年、粘板岩、高さ 212Cm 幅 45.5Cm)
本堂脇、墓地への入口あたりに立つ。身部は、最上段に五点具足の金剛界大日種子、その下にアン字房種子を大きく刻む。 |
残り十二仏は、上記二仏の下に三列四段に、その下方に紀年銘と「牧山住僧 刑部頼禅六十八歳」逆修供養為との造立趣旨が刻まれている。
アン字房 様
「アン字観」は、真言密教における「ア字観」(阿字を通して大日如来と一体になる)と同様に語られるようだ。
アン字は、人体に形取る構図の関係から、右肩に修行点、首の部分が荘厳点に該当するという。
アン字は、「アン字房様」、また鎌倉時代後期には「アン字法師」と呼ばれている。
十三仏上部、五点具足の金剛界大日種子、その下にアン字房種子 | 十三仏碑下方、十二仏を三列四行に刻む。 |
十三仏は、死者の追善供養のために①.初七日(不動)、②.二七日(釈迦)、③.三七日(文殊)、④.四七日(普賢)、⑤.五七日(地蔵)、⑥..六七日(弥勒)、⑦.七七日(薬師)、
⑧.百ヶ日(観音)、⑨.一周忌(勢至)、⑩.三回忌(阿弥陀)、⑪.七回忌(阿閦)、⑫.十三回忌(大日)、⑬.三十三回忌(虚空蔵)の十三仏事にわりあてられた仏・菩薩をいう。・・
最初の十仏は、閻魔王など十王の本地仏を、初七日(不動)から三回忌(阿弥陀)までに当て、この十仏に七回忌 阿閦、十三回忌 大日、三十三回忌 虚空蔵を加えたのが十三仏。
本板碑では、最後の三仏が、⑪胎蔵界大日(アーク)、⑫胎蔵界大日(アーンク)、⑬金剛界大日(バーンク)となっている。(○内番号は、十三仏の順序)
十三仏碑の初見は南北朝時代で、それが定型化する室町時代前期 応永28年(1421)位迄の間は、十三仏碑の多くが最後三仏を金胎大日にしている。
十三仏の最上段
⑬.金剛界大日如来(五点具足)(三十三回忌)の種子「バーンク」
⑫.胎蔵界大日如来(五点具足)(十三回忌) | ⑪.胎蔵界大日如来(七回忌) | ⑩.阿弥陀如来(三回忌) |
(アーンク) | (アーク) | (キリーク) |
十二仏部 一段目
⑨.勢至菩薩(一周忌) | ⑧.観音菩薩(百ヶ日) | ⑦.薬師如来(七七日) |
(サク) | (サ) | (バイ) |
十二仏部 二段目
⑥.弥勒菩薩(六七日) | ⑤.地蔵菩薩(五七日) | ④.普賢菩薩(四七日) |
(ア) | (カ) | (アン) |
十二仏部 三段目
⑥.弥勒は通常「ユ」で表すが、ここでは「ア」で表現している。
③.文殊菩薩(三七日) | ②.釈迦如来(二七日) | ①.不動明王(初七日) |
(マン) | (バク) | (カーン) |
十二仏部 四段目
十三仏の順序は十二仏部の四段目右端 ①.不動明王「カーン」を基点として左側へ、四段目が終われば同様に
三段目右から左側へ、順に二段目、一段目右へと続き、最上段⑬.金剛界大日如来(五点具足)「バーンク」で終わる。
石塔婆 下部
身部中央に、「應永二二(四)年(1397)、丁丑、十一月九日」の紀年銘、
その両側に「牧山住僧伝灯大阿闍梨位、刑部頼禅六十八歳為逆修敬白」と刻んでいる。
多福院には、本碑を含めて三基の十三仏碑があるが、いずれも逆修供養碑として造立されている。
その内、永享五年(1433)碑は、最上段 三十三回忌の位置にアン字房種子のみを大きく刻んでいる。
刻銘:「應永二二(四)年(1397)、丁丑、十一月」 | 刻銘:「牧山住僧伝灯大阿闍梨位」 |
※ (参考) 当サイトに掲載している十三仏板碑(石塔婆)の一覧。
多福院(たふくいん)阿弥陀三尊種子石塔婆 石仏と石塔-目次!
多福院(たふくいん)本堂 (曹洞宗)
天台宗 日輪寺の跡に、室町時代末期 元亀元年(1570) 曹洞宗の寺院として再興されたという。
*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約1.6Km。
(撮影:平成26年4月10日)