光明寺(こうみょうじ)(神奈川県鎌倉市材木座6-17-19)
鎌倉時代中期 弘長二年(1262)銘の五所神社板碑と同形式、身部中央に阿弥陀如来の種子「キリーク」を配している。
光明寺(こうみょうじ)阿弥陀一尊種子板碑(鎌倉時代中期、粘板岩、地上高 125Cm 下幅 46.5Cm)
身部は、二重線の輪郭を巻き、上方に天蓋、下方に蓮華座、蓮華座上に阿弥陀の種子「キリーク」、輪郭内下方に無量寿経に出る偈を刻む。 |
板碑 頭部
頭部山形は欠損する。下に二段の切込、身部は二重線の輪郭を巻く。
輪郭内の天蓋(てんがい)は、五所神社倶利伽羅不動板碑と同様、蓮華座を逆さに
した形状で、天蓋上部は蓮花の蕾(つぼみ)、瓔珞(ようらく)は細線で表している。・
天蓋の下、蓮華座上に刻まれた阿弥陀の種子「キリーク」 | 蓮華座の下、輪郭内に、「無量寿経」に出る偈が刻まれている。 |
磨滅が進み、紀年銘は不明。五所神社板碑(弘長二年 1262年)と形式・細部が同じで、「弘」の文字が確認されていることから、五所神社板碑とほぼ同時期のものと思われる。
身部下方、無量寿経に出る偈(げ)
偈(げ):「其仏本願力(ごぶつほんがんりき)、聞名欲往生(もんみょうよくおうじょう)、皆悉到彼国(かいしつとうひこく)、自致不退転(じちふたいてん)」
[ その仏(阿弥陀如来)の本願力により、名を聞いて往生せんと欲すれば、皆ことごとく彼の国(極楽)に到りて、おのずから不退転に致らん。 ]
板碑は、種子の中央で折れ、裏面を石で補強する。一見、武蔵型板碑に見えるが、石材や天蓋等の形状から上総型板碑に分類されている。 |
鎌倉時代後期 正中二年(1325)の在銘石仏で、「延命地蔵尊」とも「綱引地蔵尊」とも呼ばれている。
光明寺(こうみょうじ)地蔵石仏 (鎌倉時代後期 正中二年 1325年)
複弁反花・単弁蓮弁の蓮華座上に坐す地蔵石仏で、右手先を欠損し、左手は宝珠を持つ。舟形光背に、
七個の小月輪を配し、内に地蔵菩薩の種子「カ」を刻んでいる。鎌倉時代後期 正中二年(1325)の在銘石仏。
光明寺 地蔵堂
本堂に向かって右手にある地蔵石仏は、「延命地蔵尊」とも「綱引地蔵尊」とも呼ばれている。
光明寺本堂(重要文化財、江戸時代中期 元禄十一年 1698年、入母屋造、銅板葺)
浄土宗の大本山。仁治元年(1240)北条経時が佐助ケ谷に蓮華寺を建て然阿良忠を開山とし、後に当地に移って名を光明寺と改めた。
光明寺山門(県指定文化財、江戸時代後期、五間三戸二階二重門、桟瓦葺、高さ 約20m)
鶴岡八幡宮の表門を移建したもので、鎌倉では最大の山門。一階が和風、二階が中国風に造られている。
*JR鎌倉駅東口から湘南京急バス 新逗子駅行きに乗車、「光明寺バス停」下車、すぐ。板碑は、「綱引き地蔵尊」の向って右手に立っている。
(撮影:平成24年11月7日)