五所神社(ごしょじんじゃ)(神奈川県鎌倉市材木座2-9-1)
不動明王の利剣にまといつく倶利伽羅竜(くりからりゅう)を種子「カン」で意匠化した板碑で、鎌倉時代中期 弘長二年(1262)の在銘。
五所神社倶利伽羅不動板碑(重要美術品、鎌倉時代中期 弘長二年 1262年、粘板岩、高さ 136Cm 下幅 42Cm)
身部は二重線の輪郭を巻き、上方に天蓋、下方に蓮華座、蓮華座上に不動明王の種子「カン」を利剣に絡めて刻み、下方に銘文を刻む。 |
板碑 頭部
頭部山形は尖り気味、下に二段の切込、身部は二重線の輪郭を巻く。
身部 上方の天蓋(てんがい)
天蓋(てんがい)は、蓮華座を逆にした様な形状で、不動明王の種子「カン」の上方を飾る。
天蓋の上部は、蓮花の蕾(つぼみ)で、瓔珞(ようらく)は細線で表している。
身部中央、線刻された不動明王の利剣にまといつく倶利伽羅竜(くりからりゅう)を種子「カン」で意匠化する。 |
身部下方、枠外の銘文
銘文は、下の方が地中に埋まっており、なおかつ磨滅が進んでいる。中央に「弘長二年(1262)十一月廿日」の紀
年銘、向って右二行に卒塔婆開眼の偈(げ)「一見卒塔婆、永離三悪道」、「何况造立者、必生安楽国」、
左二行に「右志者為・・・・・・・・・」「父母二親往生・・・・・・・・・」の願文を刻む。・・・・・・・/・・・・・・・・・・・・・・
刻銘:「弘長二年(1262)十一月廿日」 | 身部下方の刻銘(二行):「卒塔婆開眼の偈(げ)」 |
身部下方の刻銘
卒塔婆開眼の偈:「一見卒塔婆(いっけんそとば)永離三悪道(ようりさんなくどう)、何况造立者(がきょうぞうりゅうしゃ)必生安楽国(ひっしょうあんらくこく)」
[ 一たび卒塔婆(塔)をみれば、永く三悪道(餓鬼・畜生・地獄)を離れられる。何ぞいわんや塔を造立するものは、必ず安楽国に生まれることができる ]
蓮華座
各弁の丈が短く、全体が横広になっている。
五所神社 倶利伽羅(くりから)不動板碑 (重要美術品、鎌倉時代中期 弘長二年 1262年)
身部に、倶利伽羅不動の種子を刻んでいることから修験道系の板碑といえる。
倶利伽羅(くりから)龍王
向吉悠睦(仏師)・中村佳睦(仏画) ご夫妻から頂いた年賀状(平成24年)
五所神社 板碑収容庫
板碑は、真言宗醍醐派に属する修験道当山派本山 京都三宝院末の応願寺に立っていたもので
同寺が廃寺となった為、五所神社創建の際、ここに移されたという。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
五所神社 拝殿
五所神社は、材木座の鎮守で、明治四十一年(1908)に、町内の八雲・諏訪・金比羅・
眼女(みるめ)・八坂の五カ所の神社を合祀し、もとの三嶋神社の社殿に祀ったもの。
*JR鎌倉駅東口から湘南京急バス九品寺循環線に乗車、「五所神社バス停」下車、東方向へ徒歩 約2分。板碑は、境内南側の板碑収容庫に納められている。
(撮影:平成24年11月7日)