願生寺 阿弥陀三尊 図像月待板碑

 願生寺(がんしょうじ)(埼玉県岩槻区本町3-15-12)

  阿弥陀三尊を図像で刻んだ月待板碑で、惜しくも下半を欠損する。上方の来迎阿弥陀如来が残り、美しい姿を見せている。

願生寺(がんしょうじ) 阿弥陀三尊図像 月待板碑 (市指定文化財、室町時代、緑泥片岩、高さ 70Cm 幅 33Cm)
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願生寺の墓地に立っている。身部は、上方に阿弥陀三尊の主尊 来迎阿弥陀如来立像を図像で刻み、下方の脇侍以下を欠損する。

板碑 頭部

頭部山形の右側を欠損する。下に二条線、身部の輪郭はなく、上端の左右に日・月、中央に天蓋を刻む。

来迎阿弥陀如来は、頭光を負い、左方に傾けた頭部から光明を放射する。蓮座は踏割り蓮座で、両足に夫々蓮座を設ける。

阿弥陀図像の左右に「帰命月天子」の偈(げ)を刻むが、右側は欠損し、左側に後半の二句「為度衆生故 普照四天下」の文字が残っている。

身部、下方

阿弥陀立像の下、通常は右下に観音菩薩、左に勢至菩薩を刻むが折損し、左方の勢至菩薩の頭光が残っている。また、

脇侍の中央に「月・・・・」、「逆修」の刻銘が残り、「阿弥陀三尊図像 月待板碑」として造立されたと思われる。

月待は、十三夜・十六夜・二十三夜などの日に月の出を待ちながら飲食をともにし、月を拝む行事で、二十三夜が最も多い。

「帰命月天子」の偈(げ)、後半二句 来迎阿弥陀、上半部

身部左側に「帰命月天子」の偈(げ)(出典未詳)の後半二句「為度衆生故 普照四天下」が残っている。

偈(げ):帰命月天子(きみょうがつてんし)本地大勢至(ほんじだいせいし)」、「為度衆生故(いどしゅじょうこ)、普照四天下(ふしょうしてんげ)

[ 月天子の本地 大勢至に帰命し奉(たてまつ)る。大勢至は衆生を済度するがための故に、あまねく 四天下を照らす。 ]

尚、東京都 東村山市の徳蔵寺板碑保存館に、同じ偈を刻んだ阿弥陀三尊種子 月待板碑(室間時代中期)がある。

願生寺に咲いていた梅花

 善念寺跡(ぜんねんじあと)阿弥陀種子板碑.                    石仏と石塔-目次!

願生寺(がんしょうじ)本堂 (江戸時代中期、茅葺)

願生寺は、室町時代後期に開山された浄土宗の寺院。

 板碑(いたび)

*東武野田線「岩槻駅」下車、北東方向へ徒歩 約6分。

(撮影:平成25年3月8日)