善念寺跡(ぜんねんじあと)(埼玉県さいたま市岩槻区大字笹久保219)
初発期の板碑で、 阿弥陀如来の種子「キリーク」を正面に刻んでいる。埼玉県東南部で最古、鎌倉時代中期 寛元元年(1243)の紀年銘がある。
善念寺跡 阿弥陀一尊種子板碑 (市指定文化財、鎌倉時代中期 寛元元年 1243年、緑泥片岩、高さ 163Cm 下幅 66Cm)
善念寺跡墓地入口に立つ。身部は、中央に大きく阿弥陀の種子「キリーク」を蓮座上に、下方に「寛元々年(1243)」の紀年銘を刻む。 |
板碑 頭部
頭部山形は低く 鈍角に開く、下に二段の切込、身部は二重線の輪郭を巻く。
板碑中央、阿弥陀の種子「キリーク」は縦長に刻まれている。 | 刻銘:「寛元々年(1243)、大蔵、癸卯、十月八日」 |
造立者は、その頃当地周辺の武士・在地領主層と考えられ、須久毛氏との関わりも推測されている。須久毛氏は、鎌倉御家人渋江氏の一族。(現地説明板)
板碑下方
中央に「寛元々年(1243)、大蔵、癸卯、十月八日」の刻銘がある。
善念寺跡(ぜんねんじあと)(埼玉県さいたま市岩槻区大字笹久保219)
寛元元年銘板碑の隣に並んで立つ板碑で、火災にあったか表面が傷んでいる。地上部は、寛元元年銘板碑と同形式で、ほぼ同寸法。
善念寺跡(ぜんねんじあと) 阿弥陀一尊種子板碑 (鎌倉時代中期、片岩、高さ 160Cm 下幅 64Cm 厚さ 7Cm)
頭部山形、下に二段の切込、身部は中央に阿弥陀種子「キリーク」を蓮座上に大きく刻む。年紀は不明だが、形式から寛元元年銘板碑とほぼ同時期に造立されたと思われる。
善念寺跡(ぜんねんじあと)(埼玉県さいたま市岩槻区大字笹久保219)
寛元元年銘板碑の背後、植込みに隠れている。阿弥陀三尊種子を刻んだ板碑で、南北朝時代中期 貞治五年(1366)の紀年銘がある。
善念寺跡(ぜんねんじあと)阿弥陀三尊種子板碑 (南北朝時代中期 貞治五年 1366年、緑泥片岩)
身部は、上方に阿弥陀三尊種子、下方は中央に「貞治五年(1366)三月廿八日」、左右に各二行「梵字 光明真言」を刻む。
阿弥陀三尊は、上に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向かって右下に観音菩薩の種子「サ」、左下に勢至菩薩の種子「サク」を刻む。
光 明 真 言
光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ」「シャナ、マ、カーボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバラ」「ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン゙」
善念寺跡 阿弥陀一尊種子板碑 (右側、市指定文化財、鎌倉時代中期 寛元元年 1243年)
ほぼ同寸・同形式の板碑が二基並んで立っている。
*JR武蔵野線「東川口駅北口」から国際興業バス「岩槻駅」行きに乗車、「和土郵便局バス停」下車、東方向へ徒歩 約150m。
(撮影:平成25年3月9日)