熊野速玉大社 胎蔵界大日種子板碑

 熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)(和歌山県新宮市新宮1番地)

   胎蔵界大日種子「ア」を主尊とする板碑で、「法華経」を埋経した経塚の標識と考えられている。南北朝時代 応安(1368~75)年の紀年銘がある。

熊野速玉大社 胎蔵界大日種子板碑 (南北朝時代中期 応安年間 1368~75年、花崗斑岩、地上高 45Cm 幅 19Cm)

もと神倉山にあった板碑で、速玉大社社務所 南側通路の横に立つ。身部は、胎蔵界大日種子「ア」を蓮座上に、下方に銘文を刻む。

神倉山は、熊野三所権現が最初に降臨した元宮で「旧宮」と呼ばれ、現在の鎮座地(熊野速玉大社)に遷座して「新宮」と号されている。

板碑 頭部

頭部山形は高く尖り、蓮弁様に反る。下の切込は一段、額部は薄く突出する。

身部 上方

蓮座上月輪内に胎蔵界大日種子「ア」を薬研彫する。蓮座は、周辺を薄く彫り込み薄肉に仕上げている。

もと神倉神社 社殿北側の岩陰内にあった板碑で、付近には経塚群があり、「法華経」を埋経した経塚の標識とも考えられている。

熊野修験道では、大峰山系の熊野側半分は胎蔵界、吉野側半分は金剛界であり峰中には両界曼荼羅中の諸仏諸尊が存在すると考えられている。

身部下方

下辺はコンクリートに埋まっているが、四行に亘る刻銘がある。

刻銘:「奉納一石・・・・、開結二経・・・・、後生善所(処)・・・・、應口口(1368~75年)(刻銘は、「紀伊國金石文集成」による)

※ 法華経薬草喩品に出る偈(げ):「現世安穏(げんぜあんのん)、後生善処(ごしょうぜんしょ)の後半部や開結二経の文字があること等、法華経を埋納し

た経塚の標識とする説にはうなづけるものがある。尚、「板碑の総合研究 総論編」(柏書房)で、時枝 務 氏は、年号の応安を応仁(1467~69)と読んでいる。

板碑、側 背面

背面は、船底形に粗削りのまま残す。本板碑は、向って右側。

二基並んで立つ板碑

向って右は、阿弥陀種子「キリーク」を主尊とする鎌倉時代後期の板碑。

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熊野速玉大社 拝殿

拝殿の後、向って左から右に、結宮、速玉社、上三殿、中四社、下四社の計十三社が祀られている。

 板碑(いたび)

*JR紀勢本線「新宮駅」下車、北西方向へ 徒歩約15分。

(撮影:平成25年8月2日)