大龍寺(だいりゅうじ)(千葉県香取市与倉1012)
碑面中央に阿弥陀種子、左右に十仏を刻んだ初期の十仏板碑で、鎌倉時代後期 嘉暦四年(1329)の造立。尚、大龍寺の板碑では最古の紀年銘。
大龍寺 阿弥陀・十仏 種子板碑 (鎌倉時代後期 嘉暦四年 1329年、黒雲母片岩、高さ 100Cm 幅 48Cm) |
身部は、中央に輪郭を巻き内に大きく阿弥陀種子、上方に「キャ・カ・ラ・バ・ア」の梵字、左右に各五仏 計十仏の種子、下方に偈・願文・紀年銘を刻む。
板碑は、昭和五十八年(1983)五月 本堂改築の際、六十基以上の板碑が礎石として使われていることが分かり、掘り出されたものの一基。
板碑 頭部
頭部は緩い山形、下に二条線、その下に五大四門の梵字 東方発心門「キャ・カ・ラ・バ・ア」を月輪内に刻む。
中央に輪郭をつくり、内に阿弥陀如来の種子「キリーク」を蓮座上月輪内に大きく刻む。また、左右に各五仏の種子を刻み十仏板碑とする。 |
十仏は、阿弥陀種子の向って右、上から下に①.不動(カーン)、⑦.薬師(バイ)、②.釈迦(バク)、胎蔵界大日(ア)、口(不明)。
阿弥陀種子に向って左、上から下に 金剛界大日(バン)、⑩.阿弥陀(キリーク)、不空成就(アク)、口(不明)、⑧.観音(サ)。
以上、左右に各五仏、計十仏を刻んでいる。十仏は、死者の追善供養のために①.初七日(不動)、②.二七日(釈迦)、
③.三七日(文殊)、④.四七日(普賢)、⑤.五七日(地蔵)、⑥.六七日(弥勒)、⑦.七七日(薬師)、⑧.百ヶ日(観音)、
⑨.一周忌(勢至)、⑩.三回忌(阿弥陀)の十仏事にわりあてられた仏・菩薩をいう。(○内数字は、十仏の順序)・
本板碑は十仏に、胎蔵界大日(ア)・金剛界大日(バン)・不空成就(アク)などを含み、まだ十仏が確定していない初期の十仏板碑であることがわかる。
本板碑と同形式の南北朝時代中期 延文三年(1358)造立の知足院阿弥陀・十仏種子板碑では、十仏種子が約束通り確定したものとなっている。
身部下方の刻銘
向って右から「光明遍照、十方世界、念佛衆生、摂取不捨(観無量寿経に出る偈)、
右志為先妣幽霊往生極楽也、嘉暦四年(1329)、己巳、八月正中(彼岸の中日)」と刻む。
観無量寿経に出る偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)、念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)」
[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]
大龍寺(だいりゅうじ)釈迦・阿弥陀種子二連板碑(千葉県香取市与倉1012)
大龍寺(だいりゅうじ) 釈迦・阿弥陀種子二連板碑 |
二基を一石で作る二連板碑、向って右は釈迦如来の種子「バク」、左は阿弥陀如来の種子「キリーク」を主尊とする。
建武二年(1335)の説明板がたて掛けられているが、現在、整備が行き届いておらず不明。
大龍寺(だいりゅうじ)(千葉県香取市与倉1012)
大龍寺(だいりゅうじ)阿弥陀種子板碑 (南北朝時代前期 康永二年 1343年、黒雲母片岩)
身部は、天蓋(てんがい)と蓮座で荘厳した阿弥陀種子「キリーク」を中央に大きく、左右に願文と紀年銘を刻む。
板碑 頭部
頭部山形を損傷。下に二条線、その下に五大四門の梵字 東方発心門「キャ・カ・ラ・バ・ア」と「キリーク」他の種子を刻む。
刻銘:「右志者為口口聖霊也口口」 | 刻銘:「康永二年(1343)八月廿八日」 |
大龍寺(だいりゅうじ)(臨済宗妙心寺派)
*JR成田線「佐原駅」下車、南西方向へ約4.5Km。JR佐原駅前にレンタサイクルがあるので、便利に利用できる。
(撮影:平成25年3月12日)