宝勝寺(ほうしょうじ)阿弥陀一尊種子板碑

 宝勝寺(ほうしょうじ)(群馬県甘楽郡甘楽町大字金井375)

  鎌倉時代中期 文永五年(1268)、この地方の豪族と思われる「紀籐権守」の極楽往生を願って造立された板碑

宝勝寺阿弥陀一尊種子板碑 (鎌倉時代中期 文永五年 1268年、緑泥片岩、高さ 135Cm)

本堂に向かって左手奥の墓地に立っている。板碑は裾広がりで、上部に阿弥陀の種子「キリーク」を蓮華座上に刻み、下部に銘文を刻む

板碑 上部

頭部を山形、その下に二段の切込をつくり、身部の上帯に「故知弥陀 極楽世界」の偈(げ)、前半を刻む。

偈(げ)の後半は、身部下帯に「濁悪衆生 猶有因縁」と刻む。

偈(げ)全文:「故知弥陀(こちみだ)、極楽世界(ごくらくせかい)濁悪衆生(じょくあくしゅじょう)猶有因縁(ゆういんねん)

[ 故に知る、阿弥陀の極楽世界、濁悪の世の衆生にも、なお因縁あることを ]

阿弥陀種子「キリーク」の四方に輪郭帯をつくり、右帯左帯にかけて「光明遍照」の四句の偈を刻む。全体に、摩耗が激しく読取れない

「光明遍照の偈(げ)」(出典:観無量寿経)

偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)、念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)

[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]

身部下帯に「濁悪衆生 猶有因縁」と、上帯の偈(げ)の後半を刻む

板碑 下部

輪郭内に五行にわたり「紀籐権守、沙弥入西、生年八十歳、七月廿五日死去、為往生極楽、

男女孝子等十一人、奉造立如件、文永五年(1268)八月廿五日」の銘文が刻まれている

在俗出家し入西と称した紀籐権守が、八十歳で七月二十五日に死去し、男女十一人の子が、

十日後の文永五年(1268)八月二十五日に、死者の極楽往生を願って、この板碑を造立した。

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宝 勝 寺

 板碑(いたび)

*上信電鉄「上州新屋駅」下車、南西方向へ 約350m。

(撮影:平成22年4月7日)