北金ヶ沢の古碑群(自然石塔婆群)(青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢)
薬師堂の境内、覆屋に南北朝時代の古碑(自然石塔婆)が22基 安置されている。
北金ヶ沢(きたかねがさわ)の古碑群(自然石塔婆群) (町指定史跡、南北朝時代、安山岩、高さ 37~79Cm)
「北金ヶ沢の古碑群」は、「関の古碑群」から国道101号線を西方向へ約1.3Km離れた薬師堂にある。薬師堂の境内、L字形の覆屋内に
22基の古碑(自然石塔婆)が収納されている。内13基は、南北朝時代 文和二年(1353)~永徳四年(1384)の紀年銘があり、全て北朝
年号となっている(永徳四年銘は、刻銘に残る干支と年銘で推定)。また、石塔婆群は「関の古碑群」の造立年代枠(南北朝時代~室町
時代前期)にすっぽりと収まっており、「関の古碑群」と一連のものとみられているいる。口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口
本サイトでは、薬師堂に安置されている石塔婆群、L字形の長い列(海側)13基を長列、短い列9基を短列と標記した。
北金ヶ沢の古碑群(自然石塔婆群)現地説明板 [長列:海側13基(No:69-4~12-9)、短列 9基(No:12-10~12-18)]
No:12-1~12-18の18基は、薬師堂古碑群。No:69-1~69-4の4基は、国道工事の際発見され移転の後、当地に安置された。
北金ヶ沢の古碑群(自然石塔婆群)一覧 (町指定史跡)
No | 現地 No | 名 称 | 制 作 年 | 主尊名 | 輪郭線 | 月輪 | 形 | 形態 | 備考 |
南北朝時代前期 | |||||||||
1 | 69-4 | 大日三尊種子自然石塔婆 | 文和二年(1353年) | 大日三尊 | 駒形 | 一重 | 自然石 | 逆修 | 銘文罫線、大日蓮座 |
2 | 12-15 | 阿弥陀種子自然石塔婆 | 文和二年(1353年) | キリーク | なし | なし | 自然石 | - | |
3 | 12-14 | 不動種子自然石塔婆 | 文和四年(1355年) | カーンマーン | 駒・凸形 | なし | 自然石 | 追善 | 三回忌 |
4 | 12-11 | 阿弥陀種子自然石塔婆 | 文和五年(1356年) | キリーク | なし | 二重 | 自然石 | - | 蓮座 |
南北朝時代中期 | |||||||||
5 | 69-3 | 胎蔵界大日種子自然石塔婆 | 延文二年(1357年) | ア | なし | なし | 自然石 | 追善 | 五七日忌 |
6 | 12-3 | 阿弥陀種子自然石塔婆 | 延文四年(1359年) | キリーク | 駒形 | 一重 | 自然石 | 追善 | 五七日忌、天蓋、宝瓶 |
7 | 12-6 | 胎蔵界大日種子自然石塔婆 | 康安元年(1361年) | アク | なし | 二重 | 自然石 | - | 法華経方便品・偈、天蓋 |
8 | 69-2 | 阿弥陀種子自然石塔婆 | 貞治二年(1363年) | キリーク | あり | 小蓮弁 | 自然石 | 追善 | 五七日忌、天蓋 |
9 | 12-7 | 阿弥陀種子自然石塔婆 | 応安七年(1374年) | キリーク | なし | 一重 | 自然石 | - | 双式、蓮座、銘文罫線 |
10 | 12-16 | 阿弥陀種子自然石塔婆 | 応安七年(1374年) | キリーク | なし | 一重 | 自然石 | - | 双式、蓮座、銘文罫線 |
11 | 69-1 | 阿弥陀種子自然石塔婆 | 応安七年(1374年) | キリーク | なし | 一重 | 自然石 | 追善 | 天蓋、宝瓶、香炉、蓮座 |
12 | 12-4 | 阿弥陀種子自然石塔婆 | 応安七年(1374年) | キリーク | なし | 一重 | 自然石 | - | 天蓋、宝瓶、香炉、蓮座 |
南北朝時代後期 | |||||||||
13 | 12-18 | 六字名号自然石塔婆 | 永徳四年(1384年) | 名号 | 駒・凸形 | - | 自然石 | 追善 | 十三回忌、 |
紀年銘のない石塔婆(制作年は推定) | |||||||||
14 | 12-5 | 阿弥陀種子自然石塔婆 | 南北朝時代中期 | キリーク | なし | 二重 | 自然石 | 追善 | 五七日忌、天蓋、蓮座 |
15 | 12-2 | 観音種子自然石塔婆 | 南北朝時代 | サ | なし | なし | 自然石 | - | 浄土教古徳之偈、散蓮 |
16 | 12-17 | 観音三尊種子自然石塔婆 | 南北朝時代 | サ・イー・イー | なし | 小蓮弁 | 自然石 | 逆修 | 蓮座 |
17 | 12-13 | 阿弥陀三尊種子自然石塔婆 | 南北朝時代 | 弥陀三尊 | なし | 小蓮弁 | 自然石 | - | 蓮座 |
18 | 12-8 | 一尊種子自然石塔婆 | 南北朝時代 | アン | なし | 二重 | 自然石 | - | |
19 | 12-9 | 六字名号自然石塔婆 | 南北朝時代 | 名号 | なし | 一重 | 自然石 | - | |
20 | 12-12 | 六字名号自然石塔婆 | 南北朝時代 | 名号 | なし | 駒形 | 自然石 | 逆修 | |
21 | 12-10 | 六字名号自然石塔婆 | 南北朝時代 | 名号 | なし | なし | 自然石 | - | |
22 | 12-1 | 一尊自然石塔婆 | 南北朝時代 | 不明 | 不明 | 不明 | 自然石 | - |
(※青枠は国道工事の際発見され、後 現在地に安置分。他は薬師堂古碑群。黄枠は双式石塔婆)
薬師堂古碑群は、国道工事で発見された四基を除く従前からの18基で、碑面が不明の一基を除いた17基の主尊、この内 浄土系の主尊についてみると、阿弥陀種子「キリーク」
が最も多く七基、「阿弥陀三尊」が一基、「名号」が四基、浄土系の偈(げ)を刻む観音種子「サ」が一基で計13基を占めている。17基中の13基で76.5%にもなり、これが本石塔婆群
最大の特徴となっている。また、国道工事の際発見された4基を加えても、21基中15基が浄土系で71.4%になり、この特定の地域内で浄土系の信仰が特に深かったと思われる。
次に、追善供養の石塔婆は7基あり逆修供養の3基より多く、その銘文に五七日・三回忌・十三回忌の忌日供養の文言が記されている。特長的なのは、五七日忌(三十五日)追善
供養碑が一番多く3基あり、それも南北朝時代中期に集中している。口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口.口口口口.
偈(げ)は、二基に刻まれていて、浄土系の「十方三世仏 一切諸菩薩 八万諸聖教 皆是阿弥陀」の偈(げ)が一基、法華経 方便品に出る「十方佛土中 唯有一乗法 无二亦无三
除仏方便説」の偈(げ)が一基に刻まれている。口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口...口
北金ヶ沢(きたかねがさわ)薬師堂
北金ヶ沢 薬師堂入口
この鳥居をくぐり、石段を登ると薬師堂に出る。
北金ヶ沢のイチョウ(国指定天然記念物、樹齢 1000年以上、高さ 約31m 幹まわり 22m)
薬師堂から国道を渡り、最初の三差路を左折するとこの「日本一の大イチョウ」がみえる。
現地説明板によれば、ここは元亨年代(1321~24年)から応永年代(1394~1428年)に栄えた金井安倍氏の別院が建立されていたと伝える。
北金ヶ沢 文和二年銘 阿弥陀種子自然石塔婆 石仏と石塔-目次!
北金ヶ沢のイチョウ(国指定天然記念物、樹齢 1000年以上、幹まわり 22m)
またの名を「垂乳根(たらちね)のイチョウ」と呼ばれている。気根・乳垂がたくさん垂れさがっている。
*JR五能線 「北金ヶ沢駅」下車、西方向へ 徒歩 約600m。北金ヶ沢駅前の道を左折、最初の大きな道を国道側に左折、国道101号線を横断した先に赤い鳥居が見える。そこが、薬師堂への登り口。
(撮影:平成25年10月15日)