北金ヶ沢 六字名号自然石塔婆(No:12-9 長列、右端)

 北金ヶ沢(きたかねがさわ)の古碑群(青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢)

  六字名号を刻む石塔婆で、南北朝時代の造立と思われる。

北金ヶ沢(きたかねがさわ)六字名号自然石塔婆(町指定史跡、南北朝時代、安山岩、高さ 63Cm 幅 56Cm)

長列の右端、短列の左端に位置する。表面中央に枠線を引き、中央に「南無阿弥陀佛」の六字名号、左右に造立趣旨を刻む。

中央 駒形の枠線内に大きく「南無阿弥陀仏」の六字名号、左右に「逆修口口、口林現当口口と刻む。

関の石塔婆群、康暦二年(1380)銘の六字名号自然石塔婆に似た枠線を持ち、それと同じ南北朝時代後期頃の造立と思われる。

北金ヶ沢 六字名号自然石塔婆(No:12-12、短列、左から3基目)

 北金ヶ沢(きたかねがさわ)の古碑群(青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢)

  六字名号のみを中央の枠線内に刻む石塔婆で、南北朝時代の造立と思われる。

北金ヶ沢(きたかねがさわ)六字名号自然石塔婆(町指定史跡、南北朝時代、安山岩、高さ 52Cm 幅 36Cm)

中央の郭線内に「南無阿弥陀佛」の六字名号だけを刻む。ほとんどの石塔婆が、特定の人を対象に同立されているのに対し、不特定多数の為に造立されたと思われる。

関の石塔婆群 康暦元年(1379)銘の六字名号自然石塔婆に似た枠線が入っている。

北金ヶ沢 六字名号自然石塔婆(No:12-10 短列、左端)

 北金ヶ沢(きたかねがさわ)の古碑群(青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢)

  ただ六字名号を中央に刻む石塔婆で、他の石塔婆と比べて極めて小さい。

北金ヶ沢(きたかねがさわ)六字名号自然石塔婆(町指定史跡、南北朝時代、安山岩、高さ 37Cm 幅 35Cm)

刻銘:南無阿弥陀佛 他の石塔婆が高さ約50Cm以上に対し、37Cmと極めて小さい。

上記名号石塔婆(No:12-12)と同じく不特定多数の為に造立されたと思われる。

また、名号の字体が、永徳四年(1384)銘の六字名号石塔婆(No:12-18)と似ており、南北朝時代後期頃の作品と思われる。

北金ヶ沢 一尊自然石塔婆(No:12-1、長列、左から5基目)

 北金ヶ沢(きたかねがさわ)の古碑群(青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢)

  全体が摩耗・風化、種子・銘文とも判読不明、南北朝時代の造立と思われる。

北金ヶ沢(きたかねがさわ)一尊自然石塔婆 (町指定史跡、南北朝時代、安山岩、高さ 50Cm 幅 39Cm)

上方、月輪内に刻まれた梵字らしきものが、ほのかに見える。

北金ヶ沢の古碑群(自然石塔婆群)短列 部分 (町指定史跡、南北朝時代)

左端が六字名号石塔婆(No:12-10)、三基目が六字名号石塔婆(No:12-12)。

 唐糸御前史跡公園 釈迦三尊種子石塔婆                  石仏と石塔-目次!

北金ヶ沢の古碑群(自然石塔婆群)現地説明板 [長列:海側面13基(No:69-4~12-9)、短列 9基(No:12-10~12-18)]

No:12-1~12-18の18基は、薬師堂古碑群。No:69-1~69-4の4基は、国道工事の際発見され移転の後、当地に安置された。

 板碑(いたび)

*JR五能線 「北金ヶ沢駅」下車、西方向へ 徒歩 約600m。北金ヶ沢駅前の道を左折、最初の大きな道を国道側に左折、国道101号線を横断した先に赤い鳥居が見える。そこが、薬師堂への登り口。

(撮影:平成25年10月15日)