北金ヶ沢 六字名号自然石塔婆(No:12-18、短列 右端)

 北金ヶ沢(きたかねがさわ)の古碑群(青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢)

   残る干支と四年銘から南北朝時代後期 永徳四年(1384)の造立とわかる石塔婆で、「南無阿弥陀仏」の六字名号を刻んでいる。

北金ヶ沢 六字名号自然石塔婆(町指定史跡、南北朝時代後期 永徳四年 1384年、安山岩、高さ 69Cm 幅 47Cm)

自然石の表面に凸形と駒形を合成した枠線を入れ、中央に大きく「南無阿弥陀佛」の六字名号、左右に造立趣旨と紀年銘を刻む。

枠線は、本石塔婆群の不動種子自然石塔婆(文和四年 1355年)と同様の枠線を入れている。

石塔婆 頂部

なんとなく頭部山形を意識している。

石塔婆 下部

中央に名号、左右に願文と紀年銘を刻む。十三回忌の追善供養として造立されたとものと思われる。

刻銘:「右者過去・・十三、口口口甲口二二(四)(1384)口廿七、孝子、敬白

紀年銘の部分は、年号が不明だが干支の甲(きのえ)と四年が読め、関の古碑群と本古碑群の在銘碑から

南北朝~室町前期 応永年迄のなかで、口口四年甲口を探せば該当するものは永徳四年(1384)甲子しかない。

北金ヶ沢 阿弥陀種子自然石塔婆(No:12-5、長列、右から5基目)

 北金ヶ沢(きたかねがさわ)の古碑群(青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢)

  「五七日(ごしちにち)」忌の追善供養として造立された石塔婆で、阿弥陀種子「キリーク」を主尊とする。南北朝時代 中期の造立と思われる。

  

北金ヶ沢 阿弥陀種子自然石塔婆(町指定史跡、南北朝時代中期、安山岩、高さ 70Cm 幅 49Cm)

自然石の表面上方 蓮座上二重月輪内に阿弥陀如来の種子「キリーク」、下方は「五七日(ごしちにち)」忌の造立趣旨を刻む。

「五七日(ごしちにち)」忌の追善供養として造立された紀年銘のある石塔婆は、関の古碑群と合わせると四基で全て南北朝時代中期に集中しており、その時期

「五七日」忌に石塔婆を建てることが流行ったと考えられる。とりわけ当石塔婆群には三基あり、従って本石塔婆の造立年代は南北朝時代 中期頃と思われる。

石塔婆 上部

蓮座上二重月輪内に阿弥陀如来の種子「キリーク」を刻む。

石塔婆 下部

五行の罫線を引き、造立趣旨と紀年銘を刻む。

刻銘:「右石塔立之、意衆(趣)者幽異、悉阿弥五七、日之口当奉、訪霊也、敬白

北金ヶ沢の古碑群(自然石塔婆群)短列 (町指定史跡、南北朝時代)

向って右端が六字名号石塔婆(No:12-18)。

 北金ヶ沢 観音三尊種子自然石塔婆                      石仏と石塔-目次!

北金ヶ沢の古碑群(自然石塔婆群)現地説明板 [長列:海側面13基(No:69-4~12-9)、短列 9基(No:12-10~12-18)]

No:12-1~12-18の18基は、薬師堂古碑群。No:69-1~69-4の4基は、国道工事の際発見され移転の後、当地に安置された。

 板碑(いたび)

*JR五能線 「北金ヶ沢駅」下車、西方向へ 徒歩 約600m。北金ヶ沢駅前の道を左折、最初の大きな道を国道側に左折、国道101号線を横断した先に赤い鳥居が見える。そこが、薬師堂への登り口。

(撮影:平成25年10月15日)