関(せき)の古碑群(青森県西津軽郡深浦町関字栃沢)(No:11-24、後列、左から六基目)
越前文様と共通する月輪を持つ石塔婆で、金剛界大日種子を主尊とする。南北朝時代中期 応安七年(1374)の紀年銘がある。
関 金剛界大日種子自然石塔婆(県指定史跡、南北朝時代中期 応安七年 1374年、安山岩、高さ 61Cm 幅 48Cm)
自然石の表面上方、二重の月輪間に小蓮弁をめぐらし金剛界大日如来の種子「バン」、下方に願文と紀年銘を刻む。 |
石塔婆 上部
蓮座上に二重の月輪、月輪の間に小蓮弁が刻まれている。これは、越前の手法で
千々和到氏は自著「板碑とその世界」(平凡社選書 116)で、当地と越前の繫がりについて言及している。
月輪内には金剛界大日如来の種子「バン」を大きく刻んでいる。
石塔婆 下部
刻銘:「石口口口口、応安七年(1374)、敬白」
関(せき)の古碑群(青森県西津軽郡深浦町関字栃沢)(No:11-27 後列、左から9基目)
本石塔婆群に五基ある名号石塔婆のなかで二番目に古い康暦元年(1379)の紀年銘がある。
関(せき)六字名号自然石塔婆(県指定史跡、南北朝時代後期 康暦元年 1379年、安山岩、高さ 58Cm 幅 52Cm) |
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三角形に近い自然石の正面中央、一重輪郭内に「南無阿弥陀仏」の名号、向って右側の小輪郭内に願文、左側の輪郭内に紀年銘を刻む。 |
石塔婆 上部
頭部 山形に近い自然石を選んでいる。名号の上、天蓋は刻まれていない。
刻銘:「康暦元年(1379)十月」 | 身部の刻銘 |
刻銘は、中央に大きく「南無阿弥陀仏」の六名号、向って右枠内に「石塔婆口口口口」、
左の枠内に「康暦元年(1379)十月十日」の紀年銘、さらに左に「孝子等敬白」と刻む。
関(せき)の古碑群(自然石塔婆群)中央部 (県指定史跡、南北朝時代前期~室町時代前期)
写真、後列の向って左端が応安七年銘石塔婆(No:11-24)、後列の右から四基目が六字名号石塔婆(No:11-27)。
関(せき)の古碑群(自然石塔婆群)現地説明板 (前列18基、後列24基、Noがついている)
関(せき)永和二年銘 金剛界大日種子自然石塔婆 石仏と石塔-目次!
石段下、案内柱
向って左側の角柱には「菅江 真澄の道」と書いてある。菅江真澄は江戸時代後期の旅行家・博物学者で、当地にも来ており、
「かめ杉は山ぎはの小高き処にあり、その木のもとに貞和三年(1347)貞治六年(1367)石ぶみどもたてり」と記し、その当時には石塔婆が置かれていた。
*JR五能線 「北金ヶ沢駅」下車、東南東方向へ 徒歩 約18分。
(撮影:平成25年10月15日)