北金ヶ沢 阿弥陀種子自然石塔婆(No:12-3 長列、左から7基目)

 北金ヶ沢(きたかねがさわ)の古碑群(青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢)

  碑面の装飾がピークに達した時期の石塔婆で、南北朝時代中期 延文四年(1359)の紀年銘がある。

北金ヶ沢 阿弥陀種子自然石塔婆(町指定史跡、南北朝時代中期 延文四年 1359年、安山岩、高さ 70Cm 幅 56Cm)

駒形の枠線を入れ、上方天蓋の下、蓮座上月輪内に阿弥陀種子「キリーク」、左右に一対の宝瓶一茎蓮、下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。

主尊種子「キリーク」を天蓋・蓮座、一対の宝瓶一茎蓮で荘厳する。石塔婆の装飾が、ピークに達している。

石塔婆 頂部

駒形枠内の頂部に瓔珞(ようらく)を垂らした天蓋(てんがい)を線刻する。

石塔婆 上部

蓮座上月輪内に阿弥陀如来の種子「キリーク」を大きく刻む。

左右に一茎蓮を生けた花瓶を大きく刻み荘厳する。

石塔婆 下部

四行の罫線を引き、内に造立趣旨と紀年銘を刻んでいる。

刻銘:右旨趣者現当、過去慈父沙弥光阿、五七日所奉訪也法界平等 延文二二(四)九月 日

亡き父 光阿の五七日(三十五日)忌 追善供養として延文四年(1359)九月に本石塔婆が造立された。時宗の阿号が使われている。

向って左側、宝瓶一茎蓮 向って右側、宝瓶一茎蓮

北金ヶ沢 胎蔵界大日種子自然石塔婆(No:69-3、長列、左から2基目)

 北金ヶ沢(きたかねがさわ)の古碑群(青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢)

   三十五日(五七日)忌の追善供養として造立された石塔婆で、南北朝時代中期 延文二年(1357)の紀年銘がある。

北金ヶ沢 胎蔵界大日種子自然石塔婆(町指定史跡、南北朝時代中期 延文二年 1357年、安山岩、高さ 79Cm 幅 48Cm)

表面に茶色の縞模様がかかり主尊種子・銘文とも肉眼では不明だが、 上方に胎蔵界大日種子、下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。

尚、本石塔婆は国道101号線工事の際発見され、移転の後 当地に安置された。

石塔婆 上部

胎蔵界大日如来の種子「ア」を月輪なしに直接刻んでいる。

石塔婆 下部

五行で、願文と紀年銘を刻む。

刻銘:「右志者為光印、霊異相当卅五、日法界平等利、延文二(1357)九月廿七日、施主敬白

延文二年(1357)九月二十七日、光印 三十五日(五七日)忌の追善供養として造立された。

北金ヶ沢(きたかねがさわ)の古碑群(自然石塔婆群) 長列(海側 面、13基)

胎蔵界大日種子石塔婆(No:69-3)は、向って左から二基目、阿弥陀種子石塔婆(No:12-3)は七基目にあたる。

 北金ヶ沢 胎蔵界大日種子自然石塔婆                      石仏と石塔-目次!

北金ヶ沢の古碑群(自然石塔婆群)現地説明板 [長列:海側面13基(No:69-4~12-9)、短列 9基(No:12-10~12-18)]

No:12-1~12-18の18基は、薬師堂古碑群。No:69-1~69-4の4基は、国道工事の際発見され移転の後、当地に安置された。

 板碑(いたび)

*JR五能線 「北金ヶ沢駅」下車、西方向へ 徒歩 約600m。北金ヶ沢駅前の道を左折、最初の大きな道を国道側に左折、国道101号線を横断した先に赤い鳥居が見える。そこが、薬師堂への登り口。

(撮影:平成25年10月15日)