明恵上人(みょうえしょうにん)紀州遺跡 笠塔婆

  明恵上人が誕生・修行した紀州 有田の地 八ヶ所に、弟子の喜海が嘉禎二年(1236)に木造卒塔婆をたてた。これが古くなり、康永三年(1344)弁迂が勧進し、石造卒塔婆に建替えた。

 明恵上人(みょうえしょうにん)紀州遺跡 星尾卒都婆(和歌山県有田市星尾)

   明恵上人が修行の為、草庵を結んだ跡で、建仁三年(1203) 上人 三十一歳の時、ここで春日大明神の託宣を受けた。紀州八所遺跡の一つ。

明恵(みょうえ)上人紀州遺跡 星尾卒塔婆(国史跡、南北朝時代前期 康永三年 1344年、砂岩、高さ 156Cm)

塔身・笠・宝珠を一石から彫成するも、宝珠を欠損。塔身正面は、明恵上人の高弟 喜海が嘉禎二年に建立した木造卒塔婆の文面を刻む。

塔身正面、上方に大きく種子「バン」、下に「法恵菩薩」、その下に「建仁三年(1203)癸亥、正月十九日、春日大明神、御託宣処」、

「嘉禎二年(1236)、丙申、十一月十九日造立之、比丘喜海謹記」と刻む。

頂部の宝珠を欠損、笠は両端で反る。

正面上方、種子「バン」・「法恵菩薩」 刻銘:「法恵菩薩」

笠塔婆の塔身正面上方に種子「バン」、下に「法恵菩薩」と刻む。

笠塔婆正面、上方の本尊種子「バン」

塔身 正面 塔身正面、下方の銘文

下方の銘文:「建仁三年(1203)癸亥、正月十九日、春日大明神、御託宣処」、「嘉禎二年(1236)、丙申、十一月十九日造立之、比丘喜海謹記」

[ 建仁三年(1203)正月十九日、春日大明神の御託宣を受けし処。嘉禎二年十一月十九日造立 喜海記]

春日大明神の御託宣によりインドへ渡ることを思いとどまる。刻銘は、明恵上人の高弟 喜海が嘉禎二年(1236)に建立した木造卒塔婆の文面がそのまま刻まれている。

塔身背面 背面の銘文

背面の銘文:「嘉禎年中所立木卒塔婆朽損之間 今勧進一族 以石造立 依之此結縁 各預上人之引導

可令成就二世願望者也 康永三秊(1344)甲申九月十九日 勧進比丘弁迂」

[ 明恵上人の弟子の喜海が嘉禎年中に立てた木造卒塔婆が古くなり、康永三年(1344)弁迂が勧進し、石造卒塔婆に建替えた。]

笠塔婆、向って左側面 笠塔婆、向って右側面

比丘弁迂と共に「沙弥浄空」、「比丘如空」の名も刻まれている。

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 吉原笠塔婆     康永三年(1344年) 和歌山県有田郡有田川町歓喜寺字中越179
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 西白上笠塔婆  康永三年(1344年) 和歌山県有田郡湯浅町栖原
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 東白上笠塔婆 康永三年(1344年) 和歌山県有田郡湯浅町栖原
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 筏立笠塔婆 享和二年(1802年) 和歌山県有田郡有田川町歓喜寺字西原1103
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 糸野笠塔婆     康永三年(1344年) 和歌山県有田郡有田川町糸野字上人谷650-1
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 星尾笠塔婆     康永三年(1344年) 和歌山県有田市星尾
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 神谷後峰笠塔婆   康永三年(1344年) 和歌山県有田郡有田川町船坂字聖人793-1
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 内崎山笠塔婆  昭和八年(1933年) 和歌山県有田郡有田川町井口22-2

明恵上人 紀州八所遺跡 笠塔婆一覧

 称名寺(しょうみょうじ)宝篋印塔                             石仏と石塔-目次!

明恵上人(みょうえしょうにん)紀州遺跡 笠塔婆(国史跡、南北朝時代前期 康永三年 1344年)

明恵上人 略年表

 笠塔婆(かさとうば)

*JR紀勢線「紀伊宮原駅」下車、南西方向へ 約2.8Km。阿弥陀寺から南東方向へ約250m。

(撮影:平成25年7月9日)