明恵上人(みょうえしょうにん)紀州遺跡 笠塔婆

  明恵上人が誕生・修行した紀州 有田の地 八ヶ所に、弟子の喜海が嘉禎二年(1236)に木造卒塔婆をたてた。これが古くなり、康永三年(1344)弁迂が勧進し、石造卒塔婆に建替えた。

 明恵上人紀州遺跡 吉原(よしはら)卒都婆(和歌山県有田郡有田川町歓喜寺字中越179)

   明恵上人が平安時代後期 承安三年(1173)正月八日に誕生した地に立つ笠塔婆で、紀州八所遺跡の一つ。

明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 吉原卒都婆 (国史跡、南北朝時代前期 康永三年 1344年、砂岩)

塔身・笠・宝珠を一石から彫成、塔身正面に明恵上人の高弟 喜海が嘉禎二年に建立した木造卒塔婆の文面を刻む。

ここは明恵上人誕生の地で、上人は平重国と有田の湯浅権守藤原宗重の四女の子として承安三年(1173)正月八日に生まれた。

頂部の宝珠を損傷、笠は両端で反る。

笠塔婆正面、上方の本尊種子「ア」

正面上方、種子「ア」・「普賢菩薩」 正面下方の刻銘

塔身正面、上方に大きく種子「ア」、下に「普賢菩薩」、下方に「承安三年(1173)癸巳、正月八日辰時、上人誕生之処」、

「嘉禎二年(1236)、丙申、十一月十九日造立之、比丘喜海謹記」と刻む。

[ 承安三年(1173)正月八日、明恵上人誕生の処。嘉禎二年(1236)十一月十九日造立 喜海記]

明恵上人の高弟 喜海が嘉禎二年(1236)に建立した木造卒塔婆の文面がそのまま刻まれている。

塔身正面下方、上段の刻銘

刻銘:「承安三年(1173)癸巳、正月、八日辰時 上人誕、生之処」

[ 承安三年(1173)正月八日、明恵上人誕生の処。]

塔身正面下方、下段の刻銘

刻銘:「嘉禎二年(1236)、丙申、十一月十九日造立之、比丘喜海謹記」

[ 嘉禎二年(1236)十一月十九日造立 喜海記]

笠塔婆、基礎

方形で、側面は無地。

明恵上人 紀州 吉原遺跡 (誕生地)

笠塔婆の背面に「嘉禎年中所立木卒塔婆朽損之間 今勧進一族以石造立依之此結縁 各預上人之引導

可令成就二世願望者也 康永三年(1344)甲申九月十九日 勧進比丘辧迂、沙弥浄宗、比丘如空」の刻銘がある。

[ 明恵上人の弟子 喜海が嘉禎年中に立てた木造卒塔婆が古くなり、康永三年(1344)弁迂が勧進し、石造卒塔婆に建替えた。]

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 吉原笠塔婆     康永三年(1344年) 和歌山県有田郡有田川町歓喜寺字中越179
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 西白上笠塔婆  康永三年(1344年) 和歌山県有田郡湯浅町栖原
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 東白上笠塔婆 康永三年(1344年) 和歌山県有田郡湯浅町栖原
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 筏立笠塔婆 享和二年(1802年) 和歌山県有田郡有田川町歓喜寺字西原1103
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 糸野笠塔婆     康永三年(1344年) 和歌山県有田郡有田川町糸野字上人谷650-1
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 星尾笠塔婆     康永三年(1344年) 和歌山県有田市星尾
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 神谷後峰笠塔婆   康永三年(1344年) 和歌山県有田郡有田川町船坂字聖人793-1
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 内崎山笠塔婆  昭和八年(1933年) 和歌山県有田郡有田川町井口22-2

明恵上人 紀州八所遺跡 笠塔婆一覧

上人胎衣塚

明恵上人誕生地の西側に隣接する。上人が生まれた時の胎盤を埋めたと伝える。

 明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 筏立卒都婆                     石仏と石塔-目次!

歓喜寺(かんぎじ)

明恵上人吉原遺跡に近接して建つ上人ゆかりの寺院で、平安時代 寛和二年(986)恵心僧都源信が創建したと伝える。

鎌倉時代中期 建長元年(1249) 明恵上人の弟子 喜海が湯浅宗氏の協力を得て再興した。

明恵上人 略年表

 笠塔婆(かさとうば)

*JR紀勢線「藤並駅」下車、東方向へ 約7.3Km。藤並駅の観光案内所で、無料レンタサイクルを借りるのが便利。

(撮影:平成25年12月24日)