明恵上人(みょうえしょうにん)紀州遺跡 笠塔婆

  明恵上人が誕生・修行した紀州 有田の地 八ヶ所に、弟子の喜海が嘉禎二年(1236)に木造卒塔婆をたてた。これが古くなり、康永三年(1344)弁迂が勧進し、石造卒塔婆に建替えた。

 内崎山(うちさきやま)卒都婆(和歌山県有田郡有田川町井口22-2)

   養母の崎山尼が夫の没後、当地に寺を建て明恵を招いた。明恵は、その背後に草庵を建て修行を行った。

明恵上人 紀州遺跡 内崎山(うちさきやま)卒都婆 (町指定史跡、昭和八年 1933年再建)

卒塔婆の所在が不明、昭和八年に復興。塔身正面に、明恵上人の高弟 喜海が嘉禎二年に建立した木造卒塔婆の文面を刻む。

明恵上人 三十六歳の承元二年(1208)から三年間、当地で修行を行った。治承四年(1180) 八歳の時、両親を相次いで無くした明恵上人は、叔母の崎山尼

その夫崎山良貞に引き取られる。ここは、その崎山屋敷があった場所と伝えられ、承元二年(1208)崎山尼が夫亡き後、寺を建て明恵上人を迎えた。明恵は、

寺の後方に草庵をつくり、弟子と共に修行を行った。明恵上人 紀州八所遺跡の中で、唯一卒都婆が不明となっており、遺跡の正確な位置は不明とされている。

笠塔婆正面、上方の本尊種子「ウーン(普賢菩薩)」

正面上方、「普賢菩薩」 正面下方の刻銘

塔身正面、上方に大きく種子「ウーン」、下に「普賢菩薩」、下方に「承元第四暦(1210)庚午、製元顕抄並彼、華厳大疏演義抄之講処」、

「嘉禎二年(1236)、丙申、十一月十九日造立之、比丘喜海謹記」と刻む。

[ 承元四年(1210)「金獅子章光顕抄」一部三巻を著し、「大華厳経疏演義抄」の講義を行った処。嘉禎二年(1236)十一月十九日造立 喜海記]

明恵上人の高弟 喜海が嘉禎二年(1236)に建立した木造卒塔婆の文面がそのまま刻まれている。

塔身正面下方、上段の刻銘

刻銘:「承元第四暦(1210)庚午、製元顕抄並彼、華厳大疏演義抄之講処」

[ 承元四年(1210)「金獅子章光顕抄」一部三巻を著し、「大華厳経疏演義抄」の講義を行った処。]

大華厳経疏奥書に「承元四年(1210)六月十七日、於紀州崎山草室、奉対明恵阿闍梨御房、合抄談之了、花厳宗沙弥喜海」とある。(角川日本地名大辞典)

塔身正面下方、下段の刻銘

刻銘:「嘉禎二年(1236)、丙申、十一月十九日造立之、比丘喜海謹記」

[ 嘉禎二年(1236)十一月十九日造立 喜海記]

明恵上人 崎山遺跡 の標示

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 吉原笠塔婆     康永三年(1344年) 和歌山県有田郡有田川町歓喜寺字中越179
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 西白上笠塔婆  康永三年(1344年) 和歌山県有田郡湯浅町栖原
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 東白上笠塔婆 康永三年(1344年) 和歌山県有田郡湯浅町栖原
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 筏立笠塔婆 享和二年(1802年) 和歌山県有田郡有田川町歓喜寺字西原1103
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 糸野笠塔婆     康永三年(1344年) 和歌山県有田郡有田川町糸野字上人谷650-1
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 星尾笠塔婆     康永三年(1344年) 和歌山県有田市星尾
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 神谷後峰笠塔婆   康永三年(1344年) 和歌山県有田郡有田川町船坂字聖人793-1
明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 内崎山笠塔婆  昭和八年(1933年) 和歌山県有田郡有田川町井口22-2

明恵上人 紀州八所遺跡 笠塔婆一覧

法蔵寺(ほうぞうじ)

現在、法蔵寺の境内に復興された笠塔婆が立っている。

 明恵(みょうえ)上人 紀州遺跡 神谷後峰卒都婆                 石仏と石塔-目次!

明恵上人 紀州 内崎山遺跡

養母 崎山尼が夫の没後、当地に寺を建て明恵を招いた。明恵は、その背後に草庵を建て修行を行った。

明恵上人 略年表

 笠塔婆(かさとうば)

*JR紀勢線「藤並駅」下車、北北東方向へ 約2.8Km。田殿橋を渡った北側に法蔵寺がある。藤並駅の観光案内所で、無料レンタサイクルを借りるのが便利。

(撮影:平成25年12月24日)