清水(きよみず)磨崖仏群 連刻板碑 (鹿児島県南九州市川辺町清水)
月輪大梵字の下、地上側に刻まれた十六基連刻の板碑で、三大宝篋印塔と同じ頃(鎌倉時代後期初)に彫られたものと考えられている。
清水(きよみず)磨崖 連刻板碑(十六基) (現地説明板番号No157~172)(県指定史跡、鎌倉時代後期)
磨崖面を方形に彫りくぼめ、内に板碑形を十六基連続に刻む。板碑形は、夫々、頭部山形、下に二条線、額部はやや長く、身部上方に種子を刻んでいる。
種子は、風化・摩耗が進み肉眼では判断しにくい。下記現地推定図によれば不動明王の種子「カーン」としている。
現地説明板(部分)(現地説明板番号No157~172)(鎌倉時代後期)
線刻 磨崖 板碑群(現地説明板番号No140~144)(県指定史跡、鎌倉時代中期~室町時代)
連刻板碑の上方中央に金剛界大日種子を刻んだ大型板碑(鎌倉時代中期、No144))、その向かって左に二連板碑(室町時代、No142・143)
その左下にやや小さい二連板碑(鎌倉後期~室町時代、No140・141)が彫られている。
頭部山形、二条線はなく、身部は梯形で上部に大きく金剛界大日如来の種子「バン」が薬研彫されている。
本板碑は、この上に彫られている大梵字と同じ時代に彫られたとみられている。
金剛界大日板碑の向かって左隣に刻まれた二連板碑で、額部に吉祥印である「卍」印、身部に法名を夫々刻んでいる。
崖面を連碑形に彫りくぼめ、内に二連板碑を陽刻する。板碑は頭部山形、下に二条線、額部に吉祥印である「卍」印を各々に刻む。
身部は、男女の法名を刻んでいるところから、夫婦の逆修供養として彫られたと思われる。
卍(まんじ)は仏の三十二相の一つで、インドで古来用いた吉祥の印。
月輪大梵字(現地説明板番号No145~147)(鎌倉時代中期)の下に彫られた板碑群
清水(きよみず)二連磨崖板碑
卍板碑の向かって左下隣に刻まれた二連板碑で、崖面を連碑形に彫りくぼめ、内に二連板碑を陽刻する。
板碑は夫々、頭部山形、下に二条線、額部は長く、身部の刻銘は不明。根部は長く薄く突出する。
現地説明板(部分)、板碑は一基ずつ作品番号が刻まれている。
清水(きよみず)磨崖 地蔵坐像
清水磨崖仏群と名づけられているが石像はほとんど無い中、貴重な室町時代の地蔵磨崖仏。
三大宝篋印塔から左に一基目の小宝篋印塔の右下に彫られている。 | お顔は、剥離しているが、右手に持つ錫杖頭が残っている。 |
清水(きよみず)磨崖仏群 明治時代の磨崖仏
明治二十八年(1895)に吉田知山という旅僧が彫った十一面観音像及び阿弥陀如来像、宝篋印塔が残っている。
十一面観音像 (明治二十八年 1895年)(No173) | 宝篋印塔 (明治二十八年 1895年)(No129) |
吉田知山の彫った作品(県指定史跡、明治時代)
清水(きよみず)磨崖仏群 一覧
指定 | 名 称 | 制 作 年 | 所 在 地 |
清水(きよみず)磨崖大五輪塔板碑 | 平安後期~鎌倉時代前期 | 鹿児島県南九州市川辺町清水 | |
清水(きよみず)磨崖 月輪大梵字 | 鎌倉時代中期 | 鹿児島県南九州市川辺町清水 | |
清水(きよみず)磨崖 三大宝篋印塔 | 鎌倉時代後期 | 鹿児島県南九州市川辺町清水 | |
清水(きよみず)磨崖 永仁四年銘宝篋印塔 | 鎌倉時代後期 | 鹿児島県南九州市川辺町清水 | |
清水(きよみず)磨崖 宝篋印塔群 | 鎌倉時代後期 | 鹿児島県南九州市川辺町清水 | |
清水(きよみず)磨崖 五輪塔群 | 鎌倉後期~室町時代 | 鹿児島県南九州市川辺町清水 | |
清水(きよみず)磨崖 連刻板碑 | 鎌倉後期~室町時代 | 鹿児島県南九州市川辺町清水 |
清水(きよみず)磨崖仏群、現地案内板
石橋を渡った場所(赤丸)に、本案内板が立っている。
*JR鹿児島中央駅から鹿児島交通 枕崎行きに乗車、「川辺やすらぎの郷バス停」下車、徒歩 約30分。
(撮影:平成26年5月26日)