清水(きよみず)磨崖 宝篋印塔群

 清水(きよみず)磨崖仏群 上流側 宝篋印塔 (鹿児島県南九州市川辺町清水)

  崖面に刻まれた石塔は、下流側(南側)から上流側(北側)に向かって、作品ごとに1~200の番号がつけられている。

宝篋印塔(現地説明板番号No:126)(鎌倉時代後期) 宝篋印塔(向かって右側)(現地説明板番号No:127)(鎌倉時代後期)

No126 の宝篋印塔は、三大宝篋印塔の向かって左側に彫られ細部も同形。ただ、塔身の梵字は、金剛界大日如来の種子「バン」を刻んでいる。

No127 の宝篋印塔は、塔身部分が納入孔になっており、経巻などを納めたものと考えられる。

宝篋印塔(現地説明板番号No:156)(鎌倉時代後期)

十六基連刻板碑の右側に彫られた宝篋印塔で、塔身部分が納入孔になっている。

宝篋印塔(現地説明板番号No:125)(鎌倉時代後期)

三大宝篋印塔と同形だが、相輪の九輪がやや短く、塔身部分が納入孔になっている。制作時の割付線が残っているのは興味深い。

                                                      

現地説明板(部分)、一つずつ作品番号が刻まれている。

 清水(きよみず)磨崖仏群 下流側 宝篋印塔 (鹿児島県南九州市川辺町清水)

  磨崖仏群の前に架かる新しい石橋から下流側(南側)は、すべて鎌倉時代後期に彫られたもので1~51の番号がつけられている。

宝篋印塔 八基 (現地説明板番号No:36~43)(鎌倉時代後期)

下流の永仁四年(1296)銘宝篋印塔(No2)から上流方向に約80mにあたる場所には、八基の宝篋印塔が彫られている。

宝篋印塔(現地説明板番号No:39・40)(鎌倉時代後期)

八基の中、比較的保存状態のいい宝篋印塔で、格狭間の形など三大宝篋印塔と同形。また、塔身の梵字は、上流側が密教系

の種子が刻まれていたのに対し、永仁四年(1296)銘宝篋印塔(No2)を含む下流側は全て阿弥陀種子「キリーク」が刻まれている。

宝篋印塔(現地説明板番号No:29~31)(鎌倉時代後期)

三基一組で彫られた宝篋印塔で、中央の塔身部分が納入孔になっている。

現地説明板(部分、作品番号No:23~43)(鎌倉時代後期)

中央の宝篋印塔 二基 (現地説明板番号No:17・18)(鎌倉時代後期)

二基の宝篋印塔を挟む形で彫られている五輪塔も鎌倉時代後期のものとされている。

宝篋印塔 (現地説明板番号No:18)(鎌倉時代後期)

三大宝篋印塔と同形で、基壇の格狭間も同じ形。ただ、相輪の九輪がやや短く、塔身は阿弥陀種子「キリーク」を刻んでいる。

現地説明板(部分、作品番号No:1~27)(鎌倉時代後期)

 清水(きよみず)磨崖仏群 一覧

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
清水(きよみず)磨崖大五輪塔板碑  平安後期~鎌倉時代前期 鹿児島県南九州市川辺町清水
清水(きよみず)磨崖 月輪大梵字  鎌倉時代中期 鹿児島県南九州市川辺町清水
清水(きよみず)磨崖 三大宝篋印塔  鎌倉時代後期 鹿児島県南九州市川辺町清水
清水(きよみず)磨崖 永仁四年銘宝篋印塔  鎌倉時代後期 鹿児島県南九州市川辺町清水
清水(きよみず)磨崖 宝篋印塔群   鎌倉時代後期 鹿児島県南九州市川辺町清水
清水(きよみず)磨崖 五輪塔群  鎌倉後期~室町時代 鹿児島県南九州市川辺町清水
清水(きよみず)磨崖 連刻板碑  鎌倉後期~室町時代 鹿児島県南九州市川辺町清水

 清水(きよみず)磨崖 五輪塔群                           石仏と石塔-目次!

清水(きよみず)磨崖仏群、現地案内板

石橋を渡った場所(赤丸)に、本案内板が立っている。

宝篋印塔紀年順  清水(きよみず)磨崖 三大宝篋印塔(鎌倉時代後期)  宝篋印塔-紀年順-目次

*JR鹿児島中央駅から鹿児島交通 枕崎行きに乗車、「川辺やすらぎの郷バス停」下車、徒歩 約30分。

(撮影:平成26年5月26日)