清水(きよみず)磨崖仏群(鹿児島県南九州市川辺町清水)
比丘尼清浄の四十九日(七七日)忌追善供養のため刻まれたもので、鎌倉時代後期 永仁四年(1294)の紀年銘がある。
清水(きよみず)磨崖 三大宝篋印塔(県指定史跡、鎌倉時代後期 永仁四年 1296年、高さ 各約200Cm以上)
崖面の中段に三基の宝篋印塔を線刻したもので、直線を多用する。
向かって右側と中央の宝篋印塔の間に刻銘・墨書きがあり、永仁四年(1294) 比丘尼清浄 四十九日(七七日)忌のため刻まれた。
向かって左側の宝篋印塔(塔身、種子「ア」) | 中央の宝篋印塔(塔身、月輪内に種子「アク」) |
向かって左側の宝篋印塔 塔身、種子「ア」
塔身に種子「ア」を薬研彫する。
種子「ア」は、諸仏の通種子で、通常は胎蔵界大日如来を表すが、胎蔵界五(四)仏として宝篋印塔の塔身に刻まれる場合は宝幢如来を表す。
本塔の場合、塔身が二次元のため、塔身内の大日と考えれば、胎蔵界大日か。
中央の宝篋印塔 塔身、種子「アク」
塔身、月輪内に種子「アク」を薬研彫する。
種子「アク」は、胎蔵界五(四)仏として宝篋印塔の塔身に刻まれる場合は天鼓雷音如来を表し、
金剛界五(四)仏として塔身に刻まれる場合は不空成就如来を表す。また、金剛薩埵や胎蔵界大日如来として表現することもある。
向かって右側の宝篋印塔(塔身、月輪内に種子「ア」) | 向かって右側の宝篋印塔、相輪 |
相輪は、三基とも同じで下から伏鉢・請花・九輪・反花・請花・宝珠で、宝珠下の請花は五輪塔の風輪様になっている。また、その下に反花がついているのも珍しい。
向かって右側の宝篋印塔 塔身、種子「ア」
塔身、月輪内に種子「ア」を薬研彫する。
笠
笠は、下二段、上四段で、三段目を屋根型にし、その上の四段目を露盤とする。
隅飾りは別石仕様で、馬耳状の一弧は直立する。いずれも、鎌倉時代中期~後期初の特長を備えている。
※ 下、本宝篋印塔とよく似た特長を備えた奈良 神宮寺宝篋印塔(鎌倉時代中期)の笠部。
奈良、神宮寺宝篋印塔(鎌倉時代中期)の笠部
笠は下二段、上側三段目の上を屋根型にし、その上に露盤を薄く刻出している。
基礎、基壇
基礎はやや薄く、上に二段の段型を置き、基壇は美しい格狭間を二個刻んでいる。
中央と右側宝篋印塔の間にある、墨書きと刻銘。 | 刻銘:「永仁四年、大才、丙申、三月十三日平重景、敬白」 |
墨書きは二行で「右奉為相當四十九日御忌口比丘尼清浄御出離、生死往生極楽乃至法界平等利益如件」
刻銘は「永仁四年(1296)、大才、丙申、三月十三日平重景、敬白」と刻まれている。
比丘尼清浄 四十九日忌にあたり、その極楽往生を願って平重景が永仁四年(1296)三月十三日に本宝篋印塔(彫刻)を造立した。
尚、ここから310m離れた下流側にも比丘尼清浄 三十五日(五七日)忌のため平家幸が造立した宝篋印塔(彫刻)がある。
清水(きよみず)磨崖 三大宝篋印塔(県指定史跡、鎌倉時代後期 永仁四年 1296年、高さ 各約200Cm以上)
清水(きよみず)磨崖 月輪大梵字 他 現地説明板配置図(部分) |
清水(きよみず)磨崖仏群 一覧
指定 | 名 称 | 制 作 年 | 所 在 地 |
清水(きよみず)磨崖大五輪塔板碑 | 平安後期~鎌倉時代前期 | 鹿児島県南九州市川辺町清水 | |
清水(きよみず)磨崖 月輪大梵字 | 鎌倉時代中期 | 鹿児島県南九州市川辺町清水 | |
清水(きよみず)磨崖 三大宝篋印塔 | 鎌倉時代後期 | 鹿児島県南九州市川辺町清水 | |
清水(きよみず)磨崖 永仁四年銘宝篋印塔 | 鎌倉時代後期 | 鹿児島県南九州市川辺町清水 | |
清水(きよみず)磨崖 宝篋印塔群 | 鎌倉時代後期 | 鹿児島県南九州市川辺町清水 | |
清水(きよみず)磨崖 五輪塔群 | 鎌倉後期~室町時代 | 鹿児島県南九州市川辺町清水 | |
清水(きよみず)磨崖 連刻板碑 | 鎌倉後期~室町時代 | 鹿児島県南九州市川辺町清水 |
清水(きよみず)磨崖 永仁四年銘宝篋印塔 石仏と石塔-目次!
清水(きよみず)磨崖仏群、奥側
宝篋印塔紀年順 | 箱根(はこね)宝篋印塔(鎌倉時代後期) | 宝篋印塔-紀年順-目次 |
*JR鹿児島中央駅から鹿児島交通 枕崎行きに乗車、「川辺やすらぎの郷バス停」下車、徒歩 約30分。
(撮影:平成26年5月26日)