箱根宝篋印塔

 箱根宝篋印塔<俗称:多田満仲(ただみつなか)の墓>(神奈川県足柄下郡箱根町)

   奈良西大寺 忍性に招かれた大和石大工が作った関東地方最初の古石塔。この塔より関東形式が発展する。

箱根宝篋印塔 (重要文化財、鎌倉時代後期 永仁四年 1296年、安山岩、高さ 265Cm)

基礎は四面とも、塔身に輪郭を巻き、内に大きな格狭間をつくる。正面に釈迦如来、他の三面は胎蔵界四仏の種子を彫る。相輪は後補

宝篋印塔は、中国の呉越王 銭 弘俶(せんこうしゅく)がインドの阿育王(アショカオウ)の仏舎利塔建設に倣い、八万四千の銅塔を造り宝篋印心呪経(しんじゅきょう)

を納めて配ったのが原型とされる。日本には平安時代中期に渡来し、鎌倉時代になって定型化したが塔形の名になり、他のものを納めても宝篋印塔という。

基 礎

基礎は、刻銘が入り永仁四年(1296)に大和石大工の大蔵安氏が制作した文を刻む。

また、四年後の正安二年(1300)に良観上人(忍性)が開眼供養の導師をつとめたとの追刻が 石大工 心阿の銘で刻まれている

塔身は輪郭を巻き、内に胎蔵界四仏の種子を刻む (ア:宝幢・ほうとう)
塔身正面に刻まれた法界定印を結んだ釈迦如来坐像 胎蔵界四仏種子(アー:開敷華王・かいふけおう)

笠の軒廻りには、随求陀羅尼を小さい梵字で刻んでいる

胎蔵界四仏種子(アン:弥陀)
関東地方で最初の、美しく整った宝篋印塔 胎蔵界四仏(天鼓雷音・てんくらいおん:釈迦)

箱根宝篋印塔 (重要文化財、鎌倉時代後期)

この石塔の手法が発展し、関東形式が成立した重要な宝篋印塔

 箱根地蔵磨崖仏(俗称:六道地蔵)                        石仏と石塔-目次!

精進池

宝篋印塔の格狭間に刻まれた刻文によると、この精進池のほとりを六道と見立て、

結縁衆である武石四郎左衛門以下十数名が、この霊地に大石塔を立てた。

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*JR小田原駅より伊豆箱根バス、箱根登山バス、箱根町または元箱根行きに乗車。「六道地蔵」下車すぐ。

(撮影:平成19年5月4日)