(写真は、レプリカ:原寸大)
笠神(かさがみ)の文字岩(笠神磨崖碑)(岡山県高梁市備中町平川)
新成羽川ダム完成に伴い湖中に沈んだ磨崖碑で、レプリカを残す。成羽川上流 笠神龍頭の瀬を「船路開削」した記念碑。伊派石大工 井野行経(恒)の名を刻む。
笠神の文字岩 (国史跡、鎌倉時代後期 徳治二年 1307年、岩部 長径 817Cm 短径 454Cm、文字部 縦 180Cm 横 240Cm)
笠神の文字岩 碑文(現地説明板)
笠神の文字岩 現地説明文
成羽善養寺 尊海が勧進し、その本山 西大寺が援助し、西大寺の影響下にある最先端の石大工 井野行経(恒)がこの難工事にあたっている。
現在、文字岩は、渇水期に水面に現れるという。
碑文、次の二行 | 碑文、前五行 |
碑文、前五行:「笠神船路透通事、徳治二年(1307)丁未七月廿日始口八月一日年口口其口口、
右笠神龍頭上下瀬十餘ケ所者為日域川無雙難所之間、薩埵慈悲大士温懐不可不奉不可不行依之、
相勧諸方十餘ケ日月年之功己畢」(「日本石材工芸史」綜芸社 川勝政太郎 著より)
碑文、次の二行:「大勧進沙弥尊海 當國成羽善養寺」、「奉行代沙門實専 南都西大寺實行」
碑文、後の三行
碑文、後の三行:「根本發起四郎兵衛 口口沙彌口口、石切大工伊行經(恒)、主長藤原資朝」
伊派石大工 伊行經(恒)の名が石切大工として刻まれている。伊行恒(経)は、他に下記の仕事をしている。
指定 | 名 称 | 制 作 年 | 所 在 地 |
井野行恒(行経)(いのゆきつね) 作品 | |||
保月三尊板碑(ほづきさんぞんいたび) | 嘉元三年(1305年) | 岡山県高梁市有漢町上有漢 | |
保月石造宝塔(ほづき せきぞうほうとう) | 嘉元三年(1305年) | 岡山県高梁市有漢町上有漢9167 | |
保月六面石幢(ほづきろくめんせきどう). | 嘉元四年(1306年) | 岡山県高梁市有漢町上有漢9167 | |
土居(どい)二尊板碑 | 嘉元四年(1306年) | 岡山県高梁市有漢町土居字正尺 | |
笠神(かさがみ)の文字岩(磨崖碑) | 徳治二年(1307年) | 岡山県高梁市備中町平川 | |
地蔵峰寺(じぞうぶじ)地蔵石仏 | 元亨三年(1323年) | 和歌山県海南市下津町橋本1612 | |
南田原(みなみたわら)磨崖仏 | 元徳三年(1331年) | 奈良県奈良市田原南田原町 | |
高家(たいえ) 春日神社五輪塔残欠 | 暦応二年(1339年) | 奈良県桜井市高家 | |
桃尾の滝(もものおのたき)如意輪観音石仏 | 貞和四年(1348年) | 奈良県天理市滝本町 |
凡例 : 重要文化財 府・県指定文化財 市・町指定文化財 国・史跡 重要美術品 指定なし |
伊派石大工の作品については、伊派 (伊行末系) 石大工の作品を参照。
刻銘:「石切大工 伊行經」 | 刻銘:「笠神船路造通事、徳治二年(1307)丁未七月・・」 |
早川代官の歌石 (レプリカ)
江戸時代後期 寛政九年(1797) 作州久世代官 早川八郎左衛門政紀が、当地 巡察の途次、歌と共に銘文を文字岩の傍らにある岩に刻んだ。
早川代官 碑文と歌 (現地説明板)
「徳治」の文字の 残る石文(いしぶみ)。
新成羽川ダム
文字岩の約400m上流にある。このダムの完成に伴い、文字岩は湖中に沈んだ。
笠神の文字岩と早川代官の歌碑
*JR高梁駅前 高梁バスセンターから備北バス 川上バスセンター -田原-平川-新見駅 線に乗車、「惣田バス停」下車、西北西方向へ 徒歩 約40分。
(撮影:平成26年 3月 9日)