河辺八幡神社(かわなべはちまんじんじゃ)(京都府舞鶴市河辺中354-2)
火袋壁面に胎蔵界大日坐像と阿弥陀坐像が厚肉に刻まれている。南北朝時代中期 貞治三年(1364)の在銘石燈籠。
河辺(かわなべ)八幡神社石燈籠(府指定文化財、南北朝時代中期 貞治三年 1364年、石英安山岩、高さ 239Cm)
宝珠・請花、宝珠・請花は別石で、全体に大きい。 | ||
石燈籠は拝殿の前、向って右側の覆屋内に立っている。 | 火袋、火口四面で、隅を大面取式に残し壁面四面とする。 |
笠
中央は丹後地方の山高帽式で背が高い。蕨手(わらびて)は軒下から立ち上がり、上端で八角座をつくる。
火 袋
火袋は、上区が縦連子、下区は火口面・壁面とも一区で内に格狭間をつくる。
壁面の中区は、胎蔵界大日坐像・定印阿弥陀坐像・観音種子「サ」・勢至種子「サク」を刻む。
南東面:勢至種子「サク」 | 北東面:観音種子「サ」 | 北西面:定印阿弥陀坐像 | 南西面:胎蔵界大日坐像 |
火袋 中区
阿弥陀の脇侍、観音・勢至種子は陽刻の蓮座上月輪の内に陰刻する。
中 台
上端は薄い一段、側面は二区、下端は大きい単弁の蓮弁を刻出する。
竿は円柱、中節は三条、上下は各二条で三節をつくる。中節を挟んで「貞治三年(1364) 八月廿五日」の刻銘がある。 |
基 礎
上端は低い一段を作り出し、上に単弁反花(かえりばな)を配する。その上に竿受けの円座を囲い小蓮弁で飾る。
側面は、八面とも輪郭を巻き、内に格狭間面をつくる。
舟形光背を負い蓮華座に坐す定印阿弥陀坐像を厚肉彫りする。 | 法界定印の胎蔵界大日坐像を厚肉彫りする。 |
火袋、壁面の彫像
火袋壁面 中区の胎蔵界大日坐像と定印阿弥陀坐像は厚肉に刻まれ、壁面から飛び出している様は非常に珍しく圧巻。
覆屋内の石燈籠
丹後地方の石燈籠
指定 | 名 称 | 制 作 年 | 所 在 地 |
鎌倉時代後期 | |||
旧 雲岩寺(きゅう うんがんじ)石燈籠 (京都国立博物館) | 永仁二年(1294年) | 京都市東山区茶屋町527 | |
大宮売(おおみやめ)神社石燈籠(東側) | 徳治二年(1307年) | 京都府京丹後市大宮町周枳1022 | |
舞鶴城址(まいづるじょうし)伝来 石燈籠(京都国立博物館) | 鎌倉時代後期 | 京都市東山区茶屋町527 | |
大宮売(おおみやめ)神社石燈籠(西側). | 鎌倉時代後期 | 京都府京丹後市大宮町周枳1022 | |
桂林寺(けいりんじ)石燈籠. | 鎌倉時代後期 | 京都府舞鶴市紺屋69 | |
溝谷神社(みぞたにじんじゃ)石燈籠 | 鎌倉時代後期 | 京都府京丹後市弥栄町溝谷フキノオカ46-2 | |
天満神社(てんまんじんじゃ)石燈籠 | 鎌倉時代後期 | 京都府与謝郡与謝野町加悦天神山50-1 | |
南北朝時代 | |||
河辺(かわなべ)八幡神社 石燈籠 | 貞治三年(1364年) | 京都府舞鶴市河辺中354-2 | |
八幡神社(はちまんじんじゃ)石燈籠 | 永和四年(1378年) | 京都府与謝郡与謝野町四辻 |
凡例 : 国宝 重要文化財 府指定文化財 市・町指定文化財 史跡 重要美術品 指定なし |
河辺八幡神社 (かわなべはちまんじんじゃ)
*JR舞鶴線 東舞鶴駅前から京都交通バス 田井・野原線に乗車、「河辺中バス停」下車、すぐ。八幡神社の横がバス停。バスの本数が一日3本程度なので、注意。
(撮影:平成25年9月6日)