法泉寺(ほうせんじ)十三重石塔

 法泉寺(ほうせんじ)十三重石塔(京都府京田辺市草内南垣内27-1)

  伊派の石大工 猪末行(いのすえゆき)の作品で、鎌倉時代中期 弘安元年(1278)に造立された。

法泉寺十三重石塔(重要文化財、鎌倉時代中期 弘安元年 1278年、花崗岩、高さ 約600Cm)

初層軸部、二重光背形を彫りくぼめ顕教四仏を刻む(西面:阿弥陀)
寺院入口に立ち、低い基礎上に、幅の広い安定感のある初層軸部を置く 初層軸部、二重光背形を彫りくぼめ顕教四仏を半肉彫りする(南面:釈迦)

奈良西大寺の叡尊が、畿内各地の寺院の中から水防の要所を選び、放生池(ほうじょういけ)をつくり、十三重石塔を建立したもののひとつと伝えられいる(現地説明板)

初層、二層目屋根

軒口厚く、緩やかに反る。軒裏に一重の垂木型をつくる

初層軸部、二重光背形を彫りくぼめ顕教四仏を半肉彫りする(東面:薬師)
初層軸部、二重光背形を彫りくぼめ顕教四仏を半肉彫りする(北面:弥勒) 相輪は、近年の解体修理の際に補われた新しいもの。屋根の欠損も多い

基礎 南面

側面に「弘安元季(1278)戌寅十一月廿六日、起立之、大工猪末行、勧進僧良印」と刻まれている

作者の猪末行は、伊派石大工の一人

釈迦如来 (初層軸部:南面) 阿弥陀如来 (初層軸部:西面)

猪(伊)末行は、この作品の前後に木津川市の当尾地区で、「みろくの辻磨崖仏(文永11年:1274年)」「阿弥陀三尊磨崖仏(永仁七年:1299年)」を残している。

基礎 北面

北面には「元文四年(1739)七月廿三日」に再興したと追刻がなされている

基 壇

切石からなる基壇は、低く広々としている。基礎、初層軸部とも低く、幅が広い為、安定感がある

  法泉寺(ほうせんじ)三宝荒神碑

法泉寺 三宝荒神碑(室町時代中期 明応七年 1498年、花崗岩、高さ 約100Cm)

笠塔婆形で、基礎・蓮座・塔身を一石でつくり宝珠(後補)を載せる。塔身上部に三つの宝珠が刻まれ、中に梵字を刻む

塔身の宝珠は、三つとも三宝荒神の種子「ウーン」を刻み、下に「三宝大荒神王」と大きく刻む。その下に四行の銘文がある。

銘文:「大功徳主法口、口氏梵口敬白、明応七戊午(1498)、秋七月十二日」

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法泉寺(ほうせんじ)本堂 (昭和三十四年 1959年再建)

本尊の十一面観音は、雨乞い祈願として信仰されている

 笠塔婆(かさとうば)

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*近鉄京都線「興戸(こうど)駅」下車、北東方向へ徒歩 約13分。

(撮影:平成19年6月16日、平成23年1月14日)