満福寺(まんぷくじ)宝篋印塔

 満福寺(まんぷくじ)(兵庫県養父市十二所724)

  「但馬高野」 新宮山満福寺の「地蔵がなる」と呼ばれる霊域に立つ格調の高い宝篋印塔で、南北朝時代前期 康永二年(1343)の紀年銘がある。

満福寺(まんぷくじ)宝篋印塔 (市指定文化財、南北朝時代前期 康永二年 1343年、花崗岩、高さ 165.5Cm)

塔身、金剛界四仏の種子を蓮座上月輪内に刻む(西面、キリーク:阿弥陀)
宝篋印塔は、通称「地蔵がなる」と呼ばれる霊域に安置されている。 塔身、金剛界四仏の種子を蓮座上月輪内に刻む(北面、アク:不空成就)

満福寺は、天平年間(729~749) 行基によって開かれ、熊野信仰の霊場ともなっている。弘仁年間(810~824)弘法大師の来錫を機に真言密教の道場となった。

段型は、下二段、上六段。隅飾りは、三弧輪郭付で内に月輪を陽刻し、梵字を陰刻する。また、隅飾りはやや外傾する。

塔身、金剛界四仏の種子を蓮座上月輪内に刻む(東面、ウーン:阿閦)
塔身、金剛界四仏の種子を蓮座上月輪内に刻む(南面、タラーク:宝生) 笠の隅飾りは、京都の大型塔に多い豪華な三弧輪郭付。

満福寺の盛時には一院十九坊があり、天正年間(1573~1592)豊臣秀吉の山陰攻めで、伽藍はほとんど焼失した。

基礎 南面

基礎は壇上積式で上端二段、南面のみ内に中心飾りつきの格狭間をつくる。

中心飾りつきの格狭間は、豊岡市 温泉寺塔や京丹後市 縁城寺塔にも見られる但馬・丹波・丹後地方の地方色。

基礎 西面

南面を除く三面は、側面に通常の格狭間をつくり、内は無地。

西面 右側の束に「康永二年(1343)、癸未、十月日」の刻銘がある。

相輪、下から伏鉢、請花、九輪で、九輪は四輪を残し上部を欠失する 切石の基壇上に反花座を置き、その上に宝篋印塔を安置する。

台 座

上端の反花は彫りが浅く、ほとんど繰形に近い。上端に方形座を設ける。

基礎に中心飾りつき格狭間(こうもり狭間)がある宝篋印塔

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
  南北朝時代
満福寺(まんぷくじ)宝篋印塔        康永二年(1343年) 兵庫県養父市十二所724
縁城寺(えんじょうじ)宝篋印塔           正平六年(南朝・1351年) 京都府京丹後市峰山町橋木873
桃島(ももしま)宝篋印塔 応安五年(1372年) 兵庫県豊岡市城崎町桃島1043-14
温泉寺(おんせんじ)宝篋印塔        南北朝時代前期 兵庫県豊岡市城崎町湯島985-2
安国寺(あんこくじ)宝篋印塔(尊氏母 供養塔)   南北朝時代 京都府綾部市安国寺町寺ノ段1
安国寺(あんこくじ)宝篋印塔(足利尊氏供養塔)  南北朝時代 京都府綾部市安国寺町寺ノ段1
安国寺(あんこくじ)宝篋印塔(尊氏 妻供養塔)    南北朝時代 京都府綾部市安国寺町寺ノ段1
万松寺(ばんしょうじ)宝篋印塔              南北朝時代 兵庫県丹波市春日町野村84
温泉寺(おんせんじ)宝篋印塔 東塔       南北朝時代 兵庫県豊岡市城崎町湯島985-2
西倉(にしくら)宝篋印塔                 南北朝時代後期 兵庫県丹波市青垣町栗栖野字西倉ノ上96

小五輪塔

宝篋印塔の立つ周辺は霊域で、小五輪塔が残っている。

「地蔵がなる」と呼ばれる霊域に建つ五輪塔と供養文

宝篋印塔が立つ霊域は鎌倉時代後期から室町時代前半のかけての中世墓であることが副葬品等から確認されている。

 満福寺(まんぷくじ)参道 宝篋印塔                         石仏と石塔-目次!

満福寺(まんぷくじ)奥の院観音堂 (江戸時代後期 文政年間 1818~1830年再建)

本尊は、行基が刻んだと伝える秘仏 千手観音で、三十三年毎に開帳されるという。

宝篋印塔紀年順   宗本寺(そうほんじ)二重宝篋印塔(南北朝時代前期)  宝篋印塔-紀年順-目次

*JR山陰本線 八鹿駅前から全但バス 八鹿-大谷-明延線に乗車、「十二所バス停」下車 北北西方向へ徒歩 約18分で満福寺に着く。さらに、満福寺から「奥の院観音堂」に出て、観音堂正面の長い石段を下る。石段は最後の方で、三十数段の石段が二回続き、その後、長いスパンがあり、最後の短い石段に出る。その下は傾斜のきつい九十九折れの山道になり、途中で道が無くなる。宝篋印塔は、最後の短い石段から、奥の院観音堂方向へ引き返し、すぐ右側の高い台地に登れる場所まで戻る(但し、台地に出る道はない)。台地(松の木がたくさん立っているので他の風景と少し違っている。)に登り、その奥(東南側)に小山がある。その頂上が「地蔵がなる」と呼ばれる霊域で、新しい五輪塔が立っている。五輪塔の奥側、樹木に囲まれた場所に宝篋印塔が立っている。宝篋印塔の立つ処は、当寺院の霊域となっている。

(撮影:平成25年8月27日)