桃島(ももしま)宝篋印塔

 桃島(ももしま)宝篋印塔 (兵庫県豊岡市城崎町桃島1043-14)

  基礎側面 三方を中心飾り付の格狭間で荘厳する宝篋印塔で、南北朝時代 中期 応安五年(1372)の在銘塔。

桃島(ももしま)宝篋印塔 (市指定文化財、南北朝時代中期 応安五年 1372年、石英安山岩、高さ 168.5Cm)

塔身、金剛界四仏種子を蓮座上月輪内に刻む(正面、キリーク:阿弥陀)
石塔は、市役所城崎支所の西側 約100mの道路脇に立つ。 塔身、金剛界四仏の種子を蓮座上月輪内に刻む(東面、アク:不空成就)

段型は、下二段、上六段、隅飾りは二弧輪郭付で背面を除く三面は内に金剛界大日種子「バン」を刻み、外傾する。

笠、背面(南面)

隅飾りは二弧で無地、外傾する。

塔身、金剛界四仏の種子を蓮座上月輪内に刻む(背面、ウーン:阿閦)
塔身、金剛界四仏の種子を蓮座上月輪内に刻む(西面、タラーク:宝生) 隅飾りの「バン」の刻銘等、温泉寺東塔と類似点が多い。

基 礎

上端は二段、側面は輪郭を巻き内に格狭間をつくる。背面を除く三面が、内に中心飾りつきの格狭間をつくる。

中心飾りつきの格狭間は、近くの温泉寺塔(重文)や京丹後市の縁城寺塔(重文)に見られる但馬・丹波・丹後地方の地方色

相輪は、下から伏鉢、複弁請花、九輪で、九輪は六輪までが当初のもので、上の二輪と請花・宝珠は新しく補修されている。

基礎 背面

背面は無地で、六行に亘り刻銘がある。

刻銘:「奉造立廟塔者、為常阿弥陀仏聖霊之菩提也、応安五秊(1372)十月廿七日、願主法阿弥陀仏、敬白」

南北朝時代中期 応安五年(1372)十月に常阿弥陀仏の菩提を弔う為、法阿弥陀仏がこの石塔を造立した。

被供養者・願主とも、時宗の阿号が使われており興味深い。

刻銘:「応安五秊(1372)十月廿七日、願主法阿弥陀仏、敬白」 刻銘:「奉造立廟塔者、為常阿弥陀仏聖霊之菩提也」

台座・基壇

台座は上端が複弁反花、基壇は二段で切石からなる。

基礎に中心飾りつき格狭間(こうもり狭間)がある宝篋印塔

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
  南北朝時代
満福寺(まんぷくじ)宝篋印塔        康永二年(1343年) 兵庫県養父市十二所724
縁城寺(えんじょうじ)宝篋印塔           正平六年(南朝・1351年) 京都府京丹後市峰山町橋木873
桃島(ももしま)宝篋印塔 応安五年(1372年) 兵庫県豊岡市城崎町桃島1043-14
温泉寺(おんせんじ)宝篋印塔        南北朝時代前期 兵庫県豊岡市城崎町湯島985-2
安国寺(あんこくじ)宝篋印塔(尊氏母 供養塔)   南北朝時代 京都府綾部市安国寺町寺ノ段1
安国寺(あんこくじ)宝篋印塔(足利尊氏供養塔)  南北朝時代 京都府綾部市安国寺町寺ノ段1
安国寺(あんこくじ)宝篋印塔(尊氏 妻供養塔)    南北朝時代 京都府綾部市安国寺町寺ノ段1
万松寺(ばんしょうじ)宝篋印塔              南北朝時代 兵庫県丹波市春日町野村84
温泉寺(おんせんじ)宝篋印塔 東塔       南北朝時代 兵庫県豊岡市城崎町湯島985-2
西倉(にしくら)宝篋印塔                 南北朝時代後期 兵庫県丹波市青垣町栗栖野字西倉ノ上96

 八幡神社(はちまんじんじゃ)九重石塔                       石仏と石塔-目次!

現地(桃島宝篋印塔安置場所)から見た豊岡市役所城崎支所

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*JR山陰本線「城崎温泉駅」下車、北方向へ徒歩 約600m。「城崎温泉駅」から線路沿いに北方向へ、温泉街の川に突き当り、右方向へ線路を横断、すぐ左側の「千鳥橋」を渡り直進すると「東山トンネル」に出る。トンネルをくぐり、左側に約100m進んだ道路の左手に宝篋印塔は立っている。現地は、JR山陰線のトンネルを抜けた北側にあたる。

(撮影:平成25年9月10日)