安国寺(あんこくじ)宝篋印塔尊氏妻 登子供養塔

 安国寺(あんこくじ)(京都府綾部市安国寺町寺ノ段1)

  正暦四年(993)の開創と伝えられる、臨済宗東福寺派の寺院。

安国寺宝篋印塔 (中央:足利尊氏供養塔、右:妻 登子、左:母 清子の供養塔、南北朝時代)

 尊氏の妻 登子(とうこ)供養塔(市指定文化財)

塔身正面。四面とも素面で、何も刻まれていない
山門を入り、右手に少し行った所に祀られている。三基の内、右塔 塔身左面。四面とも素面で、何も刻まれていない

宝篋印塔は、京丹後市の縁城寺宝篋印塔と複弁反花座や基礎の形状が同様で、同じ系統に属している

笠は下二段、上六段、隅飾は二弧輪郭付きで内に小月輪内梵字を刻む

宝篋印塔は相輪下部の伏鉢と上部請花・宝珠を欠損する。尊氏の妻 登子(とうこ)は貞治四年(1365)五月四日に六十歳で没している。

安国寺文書によれば、尊氏と妻 登子(とうこ)の遺骨は、それぞれの没後二ヶ月後に、二代将軍義詮(よしあきら)の計らいにより安国寺に奉納されている

基礎は壇上積式で、上端は二段、側面は中心飾りつきの格狭間をつくる。基礎下に側面二区格狭間の複弁反花座を置く

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山門(府登録文化財、江戸時代後期 天保十四年 1843年再建、桁行3.94m 梁行3.64m、本瓦葺

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*JR舞鶴線「梅迫(うめざこ)駅」下車、南方向へ 徒歩16分。

(撮影:平成20年10月20日)